すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

水虫その後

水虫になった - すべての夢のたび。
ベビーフットやった - すべての夢のたび。


水虫になったんだけどベビーフットで角質とか削ぎ落としてから薬塗ればすごい効くんじゃね?という素人考えの実践。

結果。それなりの効果はあったようです。右足の裏や足指のかなり広範囲に水疱ができていたんですが、8割方なくなった、と思います。土踏まずと親指横あたりにすこしカサカサしたところが残ってるくらいで、ほかはきれいになりました。ベビーフットやったつるつるの皮膚のままで、水疱の跡もありません。

ちなみに、そんな水虫の足でベビーフットやって大丈夫なの?ってところは、大丈夫みたいです。個人差はあるかもしれません。グジュグジュタイプの人だとどうだかわかりませんけど、ぼくの足も皮むけちゃって真っ赤なところとかありましたよ。でも染みたりはしなかった。むしろベビーフットやったまま寝てしまい気づいたら3時間くらい経過してて(ふつう1時間)、そっちのほうがやばかった気がします。足が白くなってシワシワになってました。特になんともありませんでしたけど、わざとやるのはNGです。

水虫の薬はピロエースZとかいうやつです。なんだっけ、病院の薬を市販薬にしたやつだったと思いました。ちょっと高いです、15gで1800円くらいした。

Nintendo Switchもう来週じゃん


びっくりですね。来週、正確には3月3日(金)なので一週間ないです。いやー、アップル時間に慣れすぎてると任天堂時間は早いなぁ。


本体のほか、ソフトはとりあえずゼルダとマリオカートを注文してあります。本体はAmazonで、周辺機器とソフトはヨドバシで。ヤマト運輸、3/3は大変だろうなぁ。だって任天堂の新機種をさ、予約開始と同時に予約するような人らがさぁ、それが万一発売日に届かなかったら、おこですよね。おこ。ひでえブチ切れクレーム電話が営業所に殺到するだろう。それを見越して先手打って例の発表、荷受量抑制しますっての出したのかな。仕方ないんですねって思って欲しいという。まぁでもゲーマーにはそんなの通用しなくてふつうにブチ切れられそうな気がします。ここまで想像。

ぼくはスプラトゥーンやるまで任天堂のファンではなかったので、当然のようにゼルダもやったことがありません。今回初ゼルダ。PVは見たけどそれ以上の情報は入れないようにしてやってみます。RPGだよな。PS4でだらだらやってるDiablo3をそろそろ終わらせる必要がありそうだ。Diablo3異様に面白いですよね。面白いっていうか、なんだろう。プレイすると確実にプレイした時間に比例する充分な爽快感を得られるっていうか。いつやっても楽しいってわかってるので、楽しくなりたい時にやる。そんな感じ。


あーしかし3/3って話題の、けものフレンズの一挙放送日なんですよね。



Switchセットアップして、ふんふ〜ん♪みたいな感じでちょっと触ってみて、んでけものフレンズ見て、ゲームとかやってみるのは土曜日からですかね?


追記:あと、25日はPSVRの月イチ抽選販売日だったんで挑戦しましたが、今回も当然のようにダメでした。売る気あんのかな。「しばらく時間をあけて再度アクセスしてください」ってのの「しばらく」って半年くらい後ですかね?

ラ・ラ・ランド観てきた


なんか賞とかノミネートされてるらしいですし話題作だし見に行くか……くらいの軽い気持ちだったんですけど。お薦めする。

話はシンプルです。オーディションを受けては落ちる駆け出し女優と、自分の店を持ちたいジャズピアニスト。夢を追う2人が出会い惹かれあう。挫折と妥協とあきらめと。そして。みたいな感じです。ストーリーを要約するとこんなもんなんで、ネタバレにすらなりません。

しかしこれが映画になるとすごいんだよなー。予告編見てもミュージカルですし、ちょっとあなどってた感じがありました。打ちのめされましたわ、賞を取る映画ってやっぱ取る理由があるんですよ。ミュージカル混じりの小粋な映画、って感じで進んでいくんですけど、ラスト近辺が圧倒。圧倒ですわ。映画でしかこんなことできない。ぽろぽろ泣いてたんですけど、それってストーリーと、「映画ってすごいんだな……」って感動が混ざった結果だったと思う。

音楽もいいです。まぁミュージカルで音楽悪くてどうすんだってのもありますが、いい曲ばかり。同じ曲が何回か使われるので、前のシーンと較べてああ……ってなる。そうそう、ピアニスト役のライアン・ゴズリング、ほんとうに弾いてるそうです。3ヶ月特訓したんだって。プロの役者ってヤバいな、ピアニストを演じることになったらピアニストになっちゃうんですね。あとエマ・ストーンめっちゃかわいい。

生命いるいる詐欺



NASA(North America Space Association:北アメリカ宇宙協会)の重大発表が午前3時からあるっつーんで、寝ました。Appleの新製品発表イベントだって午前2時からだぞ。ふざけんなっつーの。

で、寝て、起きて、ニュース見て、寝て正解だったと思いました。まただよ。また「ハビタブルゾーンはっけ〜ん!!」だったからね。だってそうでしょう。もうね、いいの。ハビタブルはいいの。「居住可能」はもういいの。ハビタブルじゃなくて、ぼくらが求めてるのは「ハビット」な! もう居住してたわ! そういう星を見つけたら起こしてくれよ……。

だってそうでしょう。ぼくら物心付いた時から「宇宙にいるのは我々だけではないかもしれない」って言われてんの。ずっと待ってんの。何十年とか待ってんだよ。確かに今回のニュース、バリュー的にはNASAが前回発表したハビタブルより倍もすごいのかも知れないですよ? でも、もし、実際に生命を発見できたら……倍なんてもんじゃないでしょ。100倍でしょ。世界の全ての新聞(聖教新聞を除く)のトップニュースがそれになっちゃうでしょ。そういう「桁違い」の知らせをぼくらは待ってるわけ。もうハビタブルでブレイキングニュース!とかやらなくてもいいからさ……。

だっていまのうちらの技術で39光年離れた星行くのに何年かかるのよ。何百年? 千年? そこにもしかしたら住めるかも知れない・生命が存在するかも知れない星があったからって、なんなのか。うちらに関係ないじゃん。39光年だろうが1万光年だろうが100億光年だろうが「手の出しようがない」って点で同じです。ワープ航法が開発できたかワームホールが見つかったら起こしてくれよ……。

NASAには疑いを持ってます。実は連中もっとすごいネタをいろいろ握ってるんじゃないかと思う。で、予算がなくなったらそれを小出しにして「重大発表!」をするの。ハビタブルゾーン発見した! もっともっと調査の必要がある! 金くれ! ってわけです。いい加減もうそういうの通用しないから、ちゃんとなんか証拠、ふるえるような証拠を持ってこいや!ってNASAには思うわけです。

なぜ死刑はいけないのか?


ぼくは死刑賛成派です。むかしは反対派だった時期があったように思います。たぶんこの日記の過去記事を漁れば死刑がダメな理由とか書いてるんじゃなかろうか。おそらくまとめのタイトルにもあるように、冤罪の可能性を軸にした主張をしてるような気がします。


さて、まとめのほう。死刑賛成派主導のスレになってんのかと思って読んだら、ひとり活きのいい死刑反対派がハイ論破論破〜!って頑張ってた。彼は「仮釈放無しの終身刑じゃなくて死刑でなくてはいけない理由を示せ。示せない? 論破!」みたいなロジックなんですけど、彼自身逆に死刑じゃなくて仮釈放無しの終身刑でなくてはいけない理由を示してないので、ダメだなこいつと思いました。

ぼくが死刑賛成派な理由はシンプルで、そういう「仮釈放無しの終身刑」の人間を生かしておくコストが無駄と考えるからです。なので、国民全員に死刑賛成か反対かアンケートを取って、仮釈放無しの終身刑の人間が老衰やら病気やらで死ぬまでの管理費用は反対派だけで負担する、というのなら、死刑は廃止でも構わないです。どのくらいになるんだろ。賛成反対の割合と死刑囚の人数と平均年齢・余命からだいたい算出できそうですね。たいした金額でもないような気もします。しかし負担したくないものはしたくないわけです。


冤罪の可能性については、考えが変わりました。冤罪は起こるかもしれないけど、それもコスト見合いかなと。限りなく冤罪をなくすような仕組みは構築できるかもしれないけど、おそらくものすごくお金が掛かる。そこまでしなくても、現在でも、99%以上の死刑囚は実際に死に値する罪を犯しているわけです。なら、1%未満の誤りは、受け入れようと。警察やら検察やらがそのミスを酷い方法で隠蔽したがることも含めて受け入れようと、そう思うようになったんでした。ほとんどの人は、自分の仕事をちゃんとしてるよ。そっちを信頼したい。

そう言うとたぶん、反対派の人たちのお決まりの反論が想定できるわけです。「もし自分が冤罪で死刑になったらどうするんだ。その可能性に思い至らないとは想像力が不足している」と。考えてますって。ぼくは自分が冤罪で死刑判決を下されたら、受け入れますよ。そんなのあたりまえでしょう、死刑賛成を主張しているんだから。すると反対派はおそらくこう言う。そんなの嘘だ。あり得ない。口だけだ。ならないと思ってるから言えるんだ、みたいなね。ぼくはほんとうに死刑でもいいと思ってるのに。どうやってもこの先は噛み合わないだろうから、ここで議論は終わるでしょう。

昔の自分は自分か


うーん、読んだけどイマイチだったな。調査手法が雑なのと、例によって英語からの翻訳がまた適当なんじゃないか?っていう疑いの両方がある感。

研究はイギリス心理学会によって63年前に開始されたもの。1950年、研究者らはスコットランドに住む14歳の少年少女1208人に自分の性格についてのアンケートを取りました。アンケートは自信・根気・気分の安定性・独創性・誠実さ・学習意欲という6つの要素が評価されるもので、これら6つの要素は最終的に「信頼性」の評価を作りだすものと考えられています。

そして当時の被験者らが77歳になった際に、再びアンケートを実施。1208人の被験者のうち、居所を特定できたのは635人で、そのうち174人がアンケートに参加することに同意したとのこと。

174人の被験者らは1950年当時に行われたアンケートと同じ質問に回答するとともに、被験者らの家族や友人にも被験者に関する同様のアンケートが取られました。すると、63年前に実施されたアンケート結果と重複する部分がほとんどないことが判明。


63年という超長期に渡った研究であるところは素直にすごいと思います。でも「わずか6つの要素」の「主観的判定」で「性格がぜんぜん違う!」と結論づけられるものでしょうかねぇ。なんかきちんと試験して客観的なデータを得たんならともかく。

それに6つの要素に「重複する部分がほとんどない」なら逆に関係性があると言える気もします。たとえば「自信」がABCDEのAだった人たちみんながBCDEのいずれかになってるとしたら、それは無関係とは言えないのではないか。ほんとうに無関係なら一定の割合の人はAのまま変わらないんじゃないでしょうか。ほんとうに昔のアンケート結果と「重複する部分がほとんどない」なら、そのことから逆に昔の性格を推測できそうな気もします。それができるなら関係性がないとは言えない。


というか、最大の問題は、「性格が変わったらそれは同じ人間とは言えないのではないか」って仮定に無理がある、ってことですね。「私」は「私の性格」ではありませんので。およそ「私の○○」という形で語ることが可能な○○は、私そのものとは関係ありません。私の腕がもげようと私は私ですし、性格が別物になろうが同じです。子供のころに自我を得て以来、ずっと一貫して存在している「私」としか言えない何かを、多くの人は持っているんじゃないかとぼくは想像しています(ぼくは他の人の「私」に触れることはできないので、想像に過ぎませんが)。

ただ、昔の自分については現在からふり返ることしかできません。確かそうだった、そうだったはず、という記憶だけが頼りです。もしかしたらその記憶は実際の昔の自分とはかけ離れたものである、という可能性はあります。その意味で「私の記憶」だけは「私」の生成に無関係ではない。他の「私の○○」とは違う位置にあるような気はします。

法事

まだだいぶ先ですけど、3月に法事あるから秋田行くか?みたいな電話が少し前に母からあって。

前回の法事(母方祖父の33回忌)は行ったのです。何年か前。夜行バスで行って朝着いて、法事出て、母とか父とかはそのまま帰るのですがぼくは一泊して秋田市内観光して、翌日新幹線で帰る、みたいな。

また法事よって電話来て、行くよって返事したものの、そもそも誰の法事なんだっけみたいな。祖父は33回忌でさすがにひとくぎりついてるはずで、祖母のだろうか。

そして行くよって返事したものの。返事したものの、後から母からまた電話があって、うちは行けないからと。はぁあ? 最近父親が前立腺ガンになったらしくって、その放射線治療中なんで、父は行けず、母も行けないと。ぼくだけかよ(笑)。前回の法事では、あー「母」の息子かー!ってことでそこそこの認知を得ていたんですけど、ぼくひとりで行ったらきっと親戚中近所の人中から「誰お前……」状態なんじゃないですかねぇ。危惧するものであります。

まぁ、いい。行くなら行くでなんか楽しいことをスケジューリングしないとね、ってことで、すでに秋田駅近辺の飲み屋を見繕っている最中です。あと、せっかく羽田に引っ越したので、行きは到着時間の関係で夜行バスだけど、帰りは飛行機を予約しました。一泊して市内観光して、夜の飛行機で帰るスケジュール。そのまま、すなおに、羽田から京急で帰っても面白くないよねぇ……。歩いて帰れないのかな?って、徒歩ルートを検索中です。5Kmくらいのはずだから歩ける。夜中の、滑走路下を通るトンネルとかめっちゃ怖そうではあるんだけど。