すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

3.11を振り返り忘れる

あれはたしか夕方のことでございましたよね。

ぼくはその日、有給休暇を取得し、翌日の引っ越しに備えてたんでした。つまりあの3.11は金曜日ということになる。ひとりで、揺れる部屋や崩れた荷物や、通じない電話や、あっという間に物がなくなるコンビニや、荒川土手に避難したら方方で立ち上ってる黒煙、そういうのと対峙してたんでした。あとで会社の人に話聞いたら、高いビルの上のほうの大型船みたいな揺れとか、エレベーター止まって階段で何往復とか、十何Km歩いて帰ったとか、帰れなくて泊まったとか、そんな話でした。会社で、みんなと一緒に地震に遭いたかった、という気持ちはちょっとあります。

地震の翌日に引っ越して、3回目の契約更新を前に追い出された。つまり丸6年経ったということになります。長いのか短いのかよくわかりませんが、とりあえず東京は廃墟になってないですね。覚悟してたより放射能の被害は少なかった、というより、原発周辺ですら思ったより少なく、ちょっと離れれば事故前とほとんど何も変わらない、そんな感じですよね。たいへんよかったと思います。不安を煽りまくった人たちもいましたが、別に謝罪等はしなくていいと思う。だって、あの時はほんとうにこれからどうなるのかわからなかったのだから。誰も、こんなに、何もないとは思ってなかった。いつまで続くんだという余震の不安もいつの間にか消え去った。被災地を離れれば、地震も津波も原発事故もなかったような空気になってる気がします。

6年目のその瞬間は飲み屋で迎えました。誰も地震の話とかしてない。みな酔っぱらいですからね。地震の前と後で世界は決定的に変わってしまった、と言った人がいました。ぼくも当時はそう思いましたが、ほんとうにそうだったでしょうか。むしろあれだけのことがあってさえ何も変わっていないような、そちらのほうが大きく感じられるようになってきた気がします。ひとそれぞれとは思いますが。

平服とは

何年か前に田舎の法事に行ったことがあります。最近誰かが死んだとかではなく、何十回忌みたいなやつ。

もう何十回忌だしふつうの格好でいいよ、というのです。平服でいいと。そんでふつうの格好で行ったら、親戚も近所の人もみんな礼服でした(笑)。あわてて、蔵(農家なので蔵がある)を探してもらい、誰のかもいつのかもわからん小さいカビ臭い黒いジャケットを引っ張りだしてもらい、それを羽織りました。まぁ、みっともなかったです。ふつうのシャツだし下はジーンズだし?

で、今回また連絡が来たのです。法事をやるのは知っていたので行く予定を入れていたのですが、今回は「平服でいい」という(笑)。待て待て待て! 前回それで騙されて恥かいたじゃん! 今回は礼服をレンタルするつもりで店を見繕ってサイズも測ったんだぞ? しかし「今回は絶対に平服でいい」という。近所の人とか来ない。身内しかいないから、打ち合わせして平服でいいという決まりにしたと。

ぼくはちょううたぐって「ほぉぉぉ〜んとぉ〜にぃぃ〜????」と言いました。でも平服でいいそうです。そこまで言うならふつうの格好で行ってやるわ。荷物減るしありがたいわ。今度騙されたらもう法事には行かないことにします。

ボヤージュ・オブ・タイム観てきた


ボヤージュ・オブ・タイム - Wikipedia

『ボヤージュ・オブ・タイム』(Voyage of Time)は、テレンス・マリック監督・脚本による2016年のアメリカ合衆国のIMAXドキュメンタリー映画である。宇宙の誕生と死を探求する内容であり、40年以上にわたって取り組んできた「私の最大の夢のひとつ」と説明している。


一応映画見たらそれについてなんか書こうとは思ってるんですが、これは特に書くことがないかなぁ。ぼくには合わなかったみたいです。

自然の(一部は人間や都市の)映像と音楽と語りで構成されています。映像が美しいのはいいのです。しかし音楽と語りがむっちゃ眠気を誘う。うつらうつらし、はっ!と目覚める。ずっとこの繰り返しでした。もちろんこれはぼくの問題であって、映画の問題ではありません。

この映画について、Wikipediaにはドキュメンタリー映画と記載があります。ドキュメンタリーとは事実を記録した作品であり、フィクションの要素があったらドキュメンタリーではありません。しかし宇宙の誕生やその死は撮影することができません。ここは、現在までに解っている情報に基づきCGで表現するのはいいと思います。惑星の誕生とか生命の誕生もいいと思う。しかしこの映画ではCGの恐竜が出てきて森や海岸を歩いたりするんですな。ここで、あれっ?と思っちゃったんですよね。これはドキュメンタリーなのか?と。そのあとさらに、メイクした現代人が演じる原始人が動物を狩ったりするんですわ。ここで、ドキュメンタリー???ってなってしまった。想像で描いたものをドキュメンタリーとは呼ばないだろうと。

ただ、映画自身は自らをドキュメンタリーであると名乗ってはいません。それに映画がドキュメンタリーであるかどうかなんてところにこだわっているのはぼくだけかも知れません。まぁぼくはそこでひっかかり、入り込めなくなってしまったというだけです。

「語り」はポエムです。宇宙だか世界だか神だかを"母"と置いて、「母よ、あなたは」云々、「母よ、どうして」云々、みたいなのがずっと続く。とくに落ちというかまとめというか終着点はありませんでした。

Wikipediaによると、90分の35mm版と、40分のIMAX版があるそうです。日本ではやってないのですがIMAX版を見たかった。そっちなら気に入ったかもしれません。短いし映像も遥かに綺麗だろうし。

サイコパスの語ること


これはちょっと他で見られない系の資料として目を通してもいいかと思います。人に寄っては「無理」ってなるかもですが。


殺人、および知人にタリウムを飲ませての殺人未遂で捕まった元女子大生の、裁判での供述ですけど、非常に淡々と「今でも人を殺したいと思う」「謝罪の仕方、反省とは何かが分からない」と言っています。「正直」なのではなく「自分の発言を聞いた他人が自分のことをどう思うだろうかと想像する能力に欠けている」というのが正解のようです。異常な、共感能力の低さですね。

勾留中、遺族や被害者の気持ちを考えようと何度も試みたが、自分の考えと遺族や被害者の考えが全く異なり、あぜんとした。たとえば殺害した女性が居なくなれば、遺族は生活の不便から怒りを感じると思っていたが、喪失そのものが怒りや悲しみにつながっていると知り、驚いた。

最初は時間がたてば反省できると思っていた。そうではなかった。誰かの協力を得たい。償いの意味は分かるが、償う方法は分からない。


もう人を殺したくないって言ってますけど、それきっとこうやって捕まって裁判とかになるのが面倒だからなんだろうな〜って想像してしまう。

あと、人を殺したいという欲求は、特になんの理由も感情も必要とせずに、不意に起こる感じのようです。

人を殺したくないと思う半面、人を殺したい気持ちも湧き上がる。コントロールできず困っている。入院中、医師から世間の常識や感覚とのズレを指摘された。「人を殺したい」という欲求は他人にもあると思っていた。


犯罪者についてよくある語りの、「自分だってたまたま運が良かっただけで、もしなにか条件がちょっとでも違っていたら自分も罪を犯していたかもしれない」みたいなのありますけど、この元女子大生については明らかに違いますね。ぼくはこうではない。突然人を殺したくはならない。育ちの問題ではない。脳が違うのだと思います。欠落か、結線の異常か。この人はこういう人なんだと思う。


そもそも供述が本心かどうかもわかりませんしね。こういう人は頭がいいから、発言が全部コントロールされた上でなされてる可能性もある。もっと恐ろしいのは、この人の使ってることばの意味しているものがぼくらと全然違うかも知れない、ってことです。これだけ思考回路が違うとコミュニケーションって難しいのでは?

父親似


正男さんの息子さん。似てるね! 自分の父親が数日前に殺されました、って淡々と語る胸の内はいかばかりかと思います。鼻が赤いな、泣いてたとかでしょうか。

母と妹と一緒にいるとのこと。どこにいるんでしょうね。でもたぶん、殺すことが可能な場所にいたらきっと殺されてしまうと思うので、なんとか逃げ延びてほしいものです。いつか北の国の王を継ぐために、とかじゃなくってさ、やっぱり、この時代で命付け狙われて殺されたりするって、それっておかしいですよ。と思います。


北朝鮮が、日本の領海みたいなところに飛翔体を4つ落下させて。で、あれはミサイルであって、米軍基地を狙う練習みたいなもんだと自ら発表しました。これって、日本以外の国だったらほぼ宣戦布告みたいなもんじゃないのと思うんですがどうなのか。日本、マヒしすぎじゃないですか。ぼくらは北は狂ってると思ってるけど、ミサイル4発打ち込まれてるのに国会で幼稚園がどうこうやってるこの国のほうが、世界から見ればよっぽど狂ってるように見えそうな気もします。

この先、北が、自分たちの力の誇示のために、核を使うってことはあり得るんじゃないかなって思ってます。海に向かってミサイルを落とすのと同じように、日本海に核を落としてみせるのです。日本に人的物的被害はなくても、光や音は届き、キノコ雲は見えるかもしれない。それぐらいやるのはあるかも。ミサイル打ち込んでもなんの反応もないことに業を煮やして、あるいは調子に乗って、やることエスカレートさせてくるってありそうじゃないですか? 

だらだらゼルダ

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド


だらだらやってます。スイッチの本体同時発売でやるべき新作ってこれしかない。が、やってみると非常に面白いのでこれだけで充分でしたっていう。ネット上での評判もとてもいいですしね。

良い点としてみんなが挙げているのが自由度の高さですね。たとえば敵とたたかう時、剣はもちろん、落ちてる木の枝で殴ってもいいし、倒した敵から奪った棍棒で殴ってもよい。弓で撃つこともできるし、枯れ草に火を放って焼き殺すこともできる。なぜか崖の上によくある大きな岩を転がして潰してもいい。ぼくのお気に入りは爆弾ですね。ゼルダ、武器が壊れるんです。剣も何回か使うと壊れちゃう。でも爆弾はなぜか無限に持ってる(使うのにインターバルが必要ですが)ので、敵より高い位置から爆弾を転がし、起爆! 吹き飛ばされる敵……。とてもたのしいです。

そう、今作のリンクは殺戮者です。多くのプレイヤーのリンクは多分そうなってると思う。近寄りさえしなければ何もしてこない異種族の村を襲い、食料や武器を奪います。略奪者です。メインストーリーでは姫を助け王国を救うヒーローのはずなんですが、主にやってることは強盗です。すました顔していいんですかねこれ。

マップは相当広いと言われてますが、最初のマップは周囲が崖(城壁?)になっておりそれ以上移動できません。それでも広いですけどね。走り回るのがとにかくたのしい。泳いだり、崖を登ったりもできます。垂直な壁でも登れますが、がんばってますゲージみたいのがなくなると落下するので、いくらでも登れるわけじゃないです。登れるルートを探すのも楽しい。最初は気温が低い地帯へ行くと凍えて死んじゃいますが、防寒着を手に入れると行ける範囲が広がる。さらにパラセールを手に入れると高いところから飛んで降りることもできます。これがまた楽しいです。グラフィックも綺麗ですしね〜。

あー、あと、リンクよく死にますね。敵にボコられて死ぬほか、凍死、水死、転落死等々。噂では100年もの時間を掛けてリンクは復活したらしいんですが、開始5分くらいで崖から落ちて死んでました。オートセーブがなければ物語が終わっちゃうところでした。

で、だらだらやってると2時間とか3時間とか経ってるわけです。やっと最初のマップを抜けたんですが、この先どれだけ長いのやら。寄り道だらけなので進みも遅いと思います。せっかくだからあちこち回りたい(そして村を襲いたい)ですしね。

勝負と矛盾

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」ってたまに聞きます。勝つ時はなんで勝ったのかよくわからないことがあるが、負ける時には必ず負ける理由がある、という意味です。誰の言葉なの?ってググってみたら、野村克也元監督の言葉ではなく、とある昔の剣豪の言ったことだとか?

でもこれ矛盾してませんか? なんでも通す矛と、なにものも通さない盾。じゃあその矛でその盾を突いたらどうなるんですか?ってアレと同じ構造をしてますよね。

勝負は勝ちと負けがあるものです。「勝ちに不思議の勝ちあり! 負けに不思議の負けなし!」「では、その"不思議な勝ち"があって"不思議でない負け"があった勝負は、どんなものだったんですか?」「…………」っていう。負けに理由があるんなら(9回裏で暴投したとか)、勝った側が勝った理由もソレでしょう、と思うんだけどどうなんですか。負け側が「まぁそりゃ負けるよな」で、勝ち側が「なんで勝ったのかわからん……」って勝負は、ないですよね。

「勝ちに不思議の勝ちあり」だから、全ての勝ちが不思議なわけでなく、勝って当然のものもあるってことですよね。しかし「負けに不思議の負けなし」は全ての負けは負けて当然って言ってるわけです。勝ちは2通りだけど負けは1通りで、勝ち負けの組み合わせは2通り。うん、やっぱ、「不思議の勝ち」が起きているときに負けはいったいどうなってるのかと、そこが気になりますね。

それとも、そういうんじゃなくて、負けたら原因を徹底追求しろ、勝ったとしてもたまたまだ、おごるな、増々精進しろ、っていうようなことを言いたいのだったとしたら、まぁこれは理解できる気がします。