すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

LoveSong

7/1のコメント欄で「キュアーがいい」とか言ってる人らが好きらしい「ラブソング」ってどんな曲よ? さぁ、YouTubeに訊いてみよう! はいどうぞ。「The Cure - LoveSong」!

なんでもあるなーようつべ。しかし謎だこのPV。

However far away I will always love you
However long I stay I will always love you
Whatever words I say I will always love you
I will always love you


このメロディでこのボーカルでこの歌詞なのがいいよねぇ。

N・H・Kはどう発音するんだろう

AV Watch : アニメ「N・H・K(日本引きこもり協会)にようこそ!」制作発表


なんか全開でバカっぽくてステキな記事なので引用します。ちなみに、

 アニメ版の制作はGONZOが担当。「ケロロ軍曹」の山本裕介氏を監督に迎えている。また、エンディングテーマは「筋肉少女帯」のメンバーの再結集でもある大槻ケンヂと橘高文彦が担当。劇中の音楽はポップロックバンド「パール兄弟」が手掛けるなど、非常に個性的かつ豪華な顔ぶれとなっている。

こんなことになってます。EDは『踊る赤ちゃん人間』。「やはり新曲が良いという話になり、それならばダメ人間よりさらにダメな、赤ちゃん人間にしよう!! ということで“踊る赤ちゃん人間”が誕生した」

「最初取材で行きまして、それからはプライベートで20回くらい行ってます」というのは、流石の原作者・滝本氏。達人の楽しみ方として「メイドさんと話したそうな雰囲気を出しながらも、うつむきがちにチラチラと見るだけ。すると本当に優しい子が話しかけてきてくれる。それが凄く良い。お店によっても違いますが、全体的に学園祭的なショボイ感じが良いんです」と、通な楽しみ方を語った。

原作の滝本氏によるメイド喫茶の楽しみ方。これってブログやるときも使えますよね!?

最後に滝本氏は「全世界のあらゆる年齢層の人に観て欲しい。日本は文化的に最先端を行っていると考えているので、いずれ地球の半分くらいはニートになり、アニメなどの市場はさらに拡大する。ともかく原作や漫画よりもさらに面白いものを目指しているので楽しみにして欲しい」とアピール。

「いずれ地球の半分くらいはニートになり」

11月中旬発売のコミック版第6巻限定版に、劇中で佐藤と山崎が作っている美少女ゲームが同梱されることも明らかになった(18歳未満も購入可能)。ゲーム制作は「D.C. 〜ダ・カーポ〜」で知られるサーカスが全面協力したという本格的なもの。ビジュアルのベル形式で、プレイ時間は約1時間程度を予定している

角川書店では「ネガティブキャンペーン 第5弾」を展開。「この夏はちょいオタが刺激的」として、対象コミックや文庫を買うと特製ふんどしが当たるキャンペーンを実施。キャンペーンキャラクターはパンツェッタ・ジローラモさんだ。

やりすぎです。もっとやれ。

閉鎖するとかしないとか

煩悩是道場 : ブログの閉鎖は自由である

ブログの閉鎖は自由である。
何故ならブログの閉鎖は、そのブロガーにとって、当該のウエブスペースに於ける活動の自らの死を自らの手によって行う事であるからだ。


これはこう読めるのではないかと直感的に思った。

自殺は自由である。
何故なら自殺は、その人間にとって、当該の世界に於ける活動の自らの死を自らの手によって行う事であるからだ。


気づいたが、よく読むと文章がちょっと変な気もする。まぁおいといて、仮説を立ててみる。「ブログの閉鎖に理解を示す人は自殺についてもそうであり、批判的な人は自殺についてもそうである」

というわけで、「煩悩是道場」のエントリをキーワード“自殺”で検索してみたのだけど、ululunさんが自殺について明確な考えを示したと取れるエントリは見つからなかった。残念。(「なぜころ」関係でちらっとはあったけど、自殺そのものが主題ではなかった)


一方で、ululunさんのエントリがリンクしている「日々是自己主張」はどうか。同じくキーワード“自殺”で検索した結果。

日々是自己主張 : 単なる「迷惑」で終わってはいけないけれど

JR横須賀線で起きた飛び込み自殺についてのエントリを発見。

 僕はその大群衆を見ながら、この事故で亡くなった人のことを考えてみた。ひとつの生命が失われたという事実は確かに痛ましく、悲しむべきことである。しかし同時に考えられずにはいられなかった。その一人のために、これだけ大勢の人たちの生活が影響を受けているという事実について。

 たかが40分の生活の乱れと、人一人の生命の重さは、むろん比ぶべくもない。自ら生命を絶たなければならなかった人の心情を慮るべきであることは頭では分かる。しかし、その一人の「選択」のために、多くの人たちが影響を受けたという事実。たかだか何時間か帰宅が遅れたところで、(普通は)生命にかかわるわけではないのも事実だが、人一人の生命についての選択は、何万人という人びとの生活に影響を与えても、なお尊重されるべきものなのだろうか。


うん。Akky氏がブログ閉鎖を批判するときのロジックと確かに似ている、と感じられる。(そしてサンプルを1つ付け加えてよければ、ぼくはブログ閉鎖も自殺も自由でしょと考えている)

つまりは、電脳空間上でのブログやホームページの閉鎖、という出来事は、そこに住んでいる人間にとっては、オフライン世界での「死」という出来事と似た意味を持つのだろうなと(まぁ実際、更新されないなと思ったら死んでました、ということも起きうるわけだし)。そして「死」に対する反応がおおむね二通りあるところも類似している。“迷惑だから”“勝手だから”という「論理的反応」と、“寂しいから”“悲しいから”という「感情的反応」と。


ululunさんのエントリのブクマコメントより。kanimasterさんの「閉鎖・移転を繰り返す人」についてはどうだろう。すぐ思いつくのは「自殺未遂を繰り返す人」だろうか? それとも死んでもすぐ復活するキャラ? そんなのもいたかも。sweetloveさんの「突然削除するのはやめてほしい」はどうだろう。普段からあー死ぬかも、もー死ぬかも、今度死にます、とか言って回ってればOKとか。それもやだなぁ。でも思ったんですけど、知り合いに自殺されてから後悔する人はきっと多いと思う。だったら、好きなブログには閉鎖される前にいっぱいコメントしてあげなさい、ってことじゃないですかね?