すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

このブログでは悪趣味な生き様を見ることができます

ブログの閉鎖と自殺を同じように見る事は悪趣味という意見も出ているようだが、正直な所、私もそう思ったのも事実だ。私は良い人間ではないので、不謹慎な考えを時には持つ事もある。だから、悪趣味だと言われても覚悟せねばならないなと思っている。この様な気質を隠したとしてもどうしても出てきてしまうものだからな。


「そう思った」とは?

  • 私もブログの閉鎖と自殺を同じようなものと思った。
  • 私も悪趣味と思った。

続く文面からすると前者でしょうか?(両方ってのもありえますね)

kanimasterさんが「リセットに近い感覚では」とブクマコメントに書かれていたのは、なるほど、と思いました。でも「最近の若者(わはは)はリセット感覚で自殺をする」みたいな指摘が為されることもありますし、発想としては遠くはないのかも、と。


しかしあのエントリはブログ論みたいに捉えられているけど、ほんとは「なにかの物事に対峙したときの人の思考の基本パターンはだいたい決まっているのではないか?」というほうが個人的には主題なのです。あとブログ論ってなんか、こう、「ブログロン」って書くとなんか風邪薬っぽくないですか。ブログロンA(エース)とか。

古典倫理学にみる因果律の破れについて

そろそろはてブでは「鏡の法則」も下火になってきたかなーという感じですが、もう1本いってみよう。


「鏡の法則」を批判するエントリで、「原因と結果の関係がおかしい」というタイプのものがあります。主婦A子の大切な息子がいじめられているという「結果」は、A子が大切にするべき人を責めていることに「原因」があるのだ、と言うコンサルB氏。これについて、どう関係するのか説明がなされていない、とか、関係の全くないものをあるように言い含めている、などという批判が展開される。

しかし思うのですが、そういう人たちは量子暗号通信が実用化されても使わないのかな? 「量子もつれ状態にある光子どうしは原因と結果の関係がおかしい」とか言って。いやそんなことはない使います、と言うなら、「鏡の法則」がNGで「量子もつれ」がOKな理由はどこにあるんだろう?

  1. 「鏡」は宗教で「量子」は科学だから
  2. なんか偉そうな人がそう言っているから(自分には難しくてよくわからないから)
  3. ちょっと聞くと信じがたいが、実際に実験が行われて正しいことが検証されているから

2番なら「権威主義なんですね」で終了だし、3番なら「『鏡の法則』は誰か検証したんですか?」かな? あれ、3も権威主義の変形? EPRパラドックスとか個人で実験できるわけでもないですしね。

1番、これはちょっと困ったな。なんとなくそういう人は多そうな気がするんだけど、こういう「イヤだからイヤ」は説得できない。つーか別に説得する気はないんですけど、自分が好き嫌いでモノを言ってるだけだってのは自覚して欲しいなぁと思う。まぁ好き嫌いでOKなんですけど(ぼくもそうだし)、なにやらいろいろ理屈こねまわして主観にすぎないのを客観的っぽく隠蔽しようとするのが、ちょっとなんだかなぁ、という感じ。


参考(になるかどうか…)