すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ポメラが安すぎる件

アット・ニフティストアで現在税込み16635円(+送料315円)の状態になってます。ネットブック1台の値段で黒白オレンジの3色揃えられますよ。

ぼくはといえば昨日、1GBのmicroSDを買ってきてポメラに挿しました。どう考えてもこれが埋まることなんて永遠にありえないのですが、売ってる最低容量が1GBだった。298円で永久保証付き。ちっとも信用できない(笑)。

死ぬのを待ってなんていられない

自分の人生の最後は自殺で終えよう、と、だいぶ前に決めていました。医療にQOL、クオリティ・オブ・ライフという言葉がありますが、それを言葉そのままに捉え、人生の質が維持できなくなったら死のう、という感じです。質の低下が一時的なものならいいかも知れませんが、先が見えず回復の見込みが薄そうとか、先がもう短いとか、そういった状況であれば、別にそこから頑張ったりせず、適当なところで終わらせてしまおう、と。イメージとしては、それは60歳を過ぎてからのことでした。定年で会社を辞め、年金もまったく期待できず、心身にもガタが出ているだろう頃。つまりまだ何十年も先の話です。

ですが、去年の終わりになって状況が変わってきました。

もちろん、全世界的な不況のことを言っています。株価は下がり続け、会社は潰れ、モノは売れず、派遣は切られ、次はいよいよ正社員か?という現在。これによって、比較的近い時期に、ぼく自身のQOL低下がありえるかもしれないな、と、ニュース等を見て実感させられました。幸い、ぼくはそこそこ大きな会社の正社員ではありますが、不況に縁がない業種というわけでもありません。そのうえ、「ご飯が食べられて趣味にお金が回せる程度の収入があればいいや」という、まるで頑張らない仕事っぷりのため、社内評価も中程度です。順番としては、まずうちの会社で使っている派遣の人たちが切られ(これはもう始まっています)、次にダメな社員が切られ、その次、といったあたりでしょうか?

というわけで、「あと何十年か先」の自殺、そのころ考えればいいや、とぼんやり思っていたそれを、「あと何年か先」ぐらいにまで、もしかするともっと近い未来のこととして、具体化させる必要がでてきました。

先日「完全自殺マニュアル」を買ってきました。この本を買うのは2度目で、以前は雑学的知識を入れようと思い買ったのですが、いま手元にないのです。今回は実用書として買いました。出版が1993年ともうだいぶ古いのですが、自殺に関していえばその頃と変わったのは「年間自殺者数が増えた」「硫化水素を使う手法がメジャーになった」くらいなので、特に問題はありません(あ、「薬物による自殺」については、入手可能な薬の種類が結構変わったらしいです)。

そして、ふんふん、さてどうやって死のうかな〜?とか思いながらページをめくったんですが、結論から言えば、首吊り以外の選択肢はないなぁ、ということになります。ちょっと残念でした。もっとも、これは著者の鶴見さんも「拳銃がなければ首吊り」と書いているし、以前に読んだときのぼくの結論も実はそうでした。

ぼくが考える「良い自殺」の条件は以下のようなものです。

  1. 準備の手間が少ない
  2. 確実に死ねる
  3. 苦痛が少ない
  4. 周囲になるべく迷惑を掛けない

たとえば「電車に飛び込む」というのは、1については合格ですが、2や3は若干怪しいし、4については圧倒的にダメです。電車止まるし、片付けをする人にもすごい迷惑ですよね。「ビルから飛び降りる」も4がね。誰かの上に落ちるなんてのは論外として、やっぱりこう、死体がすごい汚そうっていうか、血がビシャーとか頭部がグシャーとか手足があらぬ方向へ……みたいのは好みではありません。薬は苦しそう、ガスも苦しそう。酒飲んで睡眠薬飲んで凍死? 凍死は気持ちいい、という話も聞くのですが、屋外かつ死ぬまでに時間が掛かる、という点で2について怪しいです。

流行中の硫化水素ですが、これも4について問題がありますよね。よくニュースで、「周囲に漏れた」とか「発見者も吸った」とかやってますよね。「発生させてる最中に気づかれて未遂」ってケースもありましたし。そう、ここで、「どっか山奥へ車で行って、車内でやれば完璧じゃね?」って案があると思うんですけど、ぼく車の免許持ってないんですよね。凍死も山奥なら問題ないのに。ここにおいて、免許がないということは自殺するにあたってかなり不利なのだ、ということに気づきました。

そして首吊りです。首吊りは実は窒息ではなく、血液が脳に流れなくなることによる死です。意識を失うまでに10秒程度(柔道でいう「落ちる」という状態です)、そこから数分〜十数分で死に至りすが、意識がないので苦しみはありません。ということで、いろいろ手を講じなくてもこれでいいじゃないの、とぼくは思うのです(死体は綺麗というわけではありません。一応)。

問題は場所です。4の観点において、自室での自殺は「事故物件」を作ってしまうことになり、アパートの大家さんに大変迷惑を掛けてしまいます。といって「カラオケボックス」とか「駅のトイレ」でというのもひどいと思うので、要は屋外でないとだめぽい、ということです。しかし、屋外であっても、例えば「深夜に公園の陰になってる場所で」とかであっても、自殺死体が発見されたならそこは“穢れた場所”になってしまいます。「あそこ、なんかいる」とか「夜は近寄りたくない」とか。そういう場所を作ってしまうのも本意ではありません。

ここで免許のないのが効いてくるわけですよ。困ったものです。住宅地などからそこそこ距離があって夜でも自転車で(原付免許すらないのです…)移動が可能なところ。うーん、河原?橋の下?とか、そんなふうにしかイメージが沸かないのですよね。でも、自殺手法の選択には悩み甲斐もなかったけれど、自殺場所の選択についてあれこれと考えるのは、パズルを解くのに似た楽しみがあります。最近よく考えていることのひとつです。

それと、首吊りといえば紐、縄、ロープ、それが必要ですよね。や、タオルでもできますけど、ちゃんとやるんだからロープのほうがいいでしょう、なんとなく。この前「GOTH」という映画を観たのですが、いちばんドキドキしたのはクライマックスでも濡れ場(ありません、いやあるか)でもなく、「ヒロインがホームセンターで首吊り用のロープを買うシーン」でした。自殺のためではなく、「首にロープを巻いて寝るとよく眠れる」という理由で、いろいろなロープを首にあてがい感触をたしかめる彼女。息が止まりそうだった。そして、なるほどなーロープはホームセンターで買えばいいのかー、というかそういやハンズでも売ってましたね、と思い出しました。そのうちぼくも買ってこようと思います(買うとき首にはあてませんけど)。ロープの種類とか耐荷重とか結び方はどんながいいのかとか、そういうのを調べたり考えたりするのも、また楽しいものです。携帯できるようにしようかなと思っています。

あと考えているのは、この自殺を何かに利用するべきか、ということですね。たとえば、webで中継するとかです。別に政治的意図(?)はなく、ただ面白いからという理由でそれをやることも充分ありえるとは思うのですが、ぼくの場合は、ちょっと考えましたが、中継はなさそうかなと。理由のひとつは、すぐに場所が特定されてしまい実行が中断させられてしまう可能性が、万一にでもあるかもしれないこと。もうひとつは、ぼくの個人情報が特定されて周囲に迷惑がかかるだろうことですね。ここらへんを考えると、中継はありえないな、ということになります。

もうひとつ大事なことがあった。もしその時点でもまだ日記を書いていたりするのであれば、死んだことを伝えるか、ということも考えなくてはいけません。これについては、もし日記が続いているなら、伝える、というのがいまのところの考えです。指定した日時で自動送信されるメールなどでのエントリ更新が考えられますね。そういう「〆」がないと、死んだのか飽きたのか見分けがつかないですからね(その節はご心配をお掛けいたしました)。ただぼくは「仕事クビになったーあははは」とかも日記に書いてしまうかもしれないし、そうでなくても、なんか最近暮らし向きが変わったっぽい、なんてのはエントリから感じ取られてしまうものだろうし、読んでいる人に「そろそろ危ないか」などと思われてしまうかもしれません。ここらへんは難しいですね。いろいろ考え中です。


おそらくここまでの話はあまりリアルに聞こえないんじゃないかなぁ、と想像しています。それは「動機の弱さ」の点においてです。そのくらいで死ぬ理由になるのか?と。いや、動機が「ない」じゃん、と感じる人もいるかもしれません。

ぼくは、将来に備える、という考え方を持っていません。良い老後を送るために今を犠牲にする、という考え方には馴染めません(だって、どう考えても今のほうがいい時なのですから、お金はそこで使うべきです)。もちろん、今を楽しみつつ貯金もできるだけの収入がある人は、そうすればいいですが。また、「死んではいけない」(≒人は生きなくてはならず、生きること自体に意味や価値がある)とも考えていません。そして、現在の境遇、平均的収入があり、趣味にそこそこお金を回すことができ、自由な時間があり、お酒を飲みながら本が読めたり、コーヒーを飲みながら考え事をしたり、予定も決めずに外出したり、好きなだけゲームやネットもできる、というその境遇を愛しています。が、これは気づいたらいつの間にかそうなっていたのであって、これを守るためになんらかの努力をしようなどとは、別に思わないのです。もし会社をクビになったら、ふたたび以前(=今)のような生活ができるように頑張って職を探そうとか、適当な仕事でしのいで生活レベルは落とそうとか、そういうことは思いません。まぁほんのいくらかはやると思いますが、うまくいかなければすぐに見切りを付けるでしょう。自分を含めたいろいろなものについて、執着がそれほどはないんじゃないかと思います。このあたりは、また別途書くことになるでしょう。

あとこれ、パートナーとかお子さんがいらっしゃる方には参考にならなそうですね。ぼくはこの後も最後までひとりで暮らしていくつもりなのです。

Amazon UKで買ったDVDの再生速度が早い件

1月末に注文した攻殻機動隊のDVDボックスがやっと届きました。1ヶ月かかってますね。

で、さっそくWMPで再生してみたのですが、おお、ちゃんと日本語音声入ってるじゃん。あたりまえ。でも微妙に早回しなんですね。OPのオリガの歌がテンポ上がって音程も高くなっちゃってるんで気づきました。

これはなんじゃー!とググったところ、いろいろコーデック入れてるとそれらがぶつかってまともに再生されない、というケースがあるようでした。説明適当ですが。再生速度が早いのはPALのDVDをNTSCの速度で再生しちゃってるせいらしい。で、CORELのWinDVDならちゃんと再生してくれるよ、という書き込みを見つけたので、早速ダウンロード販売で購入しました、¥3980でした。

インストールして、さてさて、と再生してみると、やっぱり早いんですね。してやられました!?と思って設定オプションを見てみると、「オーディオ/ビデオ設定」のタブのなかに、もろに「PAL TruSpeed」というチェックボックスがあったので、これをチェックしてやると、見事に普通の再生速度になりました。よかったよかった。

うん、やっぱり1本くらいDVD再生ソフトあったほうがいいかも、と思いました。ビデオカードのハードウェア再生支援も有効にできるし。あんまり変わったのかどうかわかんないんですけど、気休めに。