すべての夢のたび。

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自殺の是非 その3(了)

この世界に不満がある人は、世界を変革するか、自分を変革するか、死んでください。3択。


自殺はアリだ。OKだ。ちよちゃん可愛い。自殺!OK!(by大阪)って感じだ。
自殺こそが、この世界の中で個人に許されたたった一つの自由だし、システムに爆弾を投げつける唯一の方法と思う。

だいたい、世界にほんとうの意味での自由なんてない。気がついたら世界に投げ込まれてたんだし、家は選べないし学校も選べない。友人も彼氏/彼女も限られた中から付き合うだけ。狙った会社には入れず、運良くどこかに入社すればさっそく生命保険の勧誘がやってきて、死ぬまでの人生設計をノートPCで作って見せてくれる。クレジットカードも新人賞も親戚付き合いもあなたの自由にはならない。気ままに旅にも行けない。国籍は放棄できないし税率はどんどん上がる。家に引きこもっても宗教の勧誘は来るし、空も飛べない(落ちる)。盗み犯し殺せば捕まって裁判に掛けられる。

でも自殺することだけが真に自由だ。個人の権利としてそれはあり、いつでも行使できる。

そもそもの初めから、誰もあなたに「生きてくれ」なんて言ってない。あなたの両親はあなたが欲しかったのではなく子供が欲しかったのであって、その魂が“あなた”である必要性はなかった。他の子が生まれても同じように育てられたはずだ。誰もあなたに「生きろ」なんて頼んでない。椅子に括り付けられて食料を口から無理矢理流し込まれているか、植物人間でないとしたら、「瞬間瞬間に生きていくことをあなたが自分の意志で選択し続けた」からこそ、その結果としてあなたは現に今生きている。違う選択も、できる。もちろん誰にも何の義理もない。

だから、世界が嫌になったら、3択。文句を言う前に3択。誰もあなたに「生き続けろ」なんて期待してないから。逆に言えば、あなたが現に生きていることは、この世界に対してのあなたの全身での存在肯定に他ならないのだ。この世界を“よし”と見ていることの、覆しようがない証明なのだ。そうでないなら「なぁ、どうして今すぐにでも死なないんだ?」


集団自殺のニュースが世間を騒がせるのは、世界/自分に自信がないから、「ここはダメだよ!」と言われたようで気持ちがグラついて不安になるってことなのでしょう。うちも自分に自信はないけれど、真善美から偽悪醜まで全部ひっくるめてとにかく世界を愛しちゃってるから、こんなふうに今日もなんだか生きてました。