すべての夢のたび。

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人は殺していいか?

新年早々物騒なタイトルですが、とあるゲームをやっていたら問いを投げかけられてしまったので、答えなくてはいけないでしょう。

わたしの考えでは、人は、殺していいかいけないかのどちらかです。当たり前ですか? いや、殺しちゃイカンに決まってるでしょ!って人もいるかもだけど、それはおいといて、いいかいけないかのどちらかです。つまりデジタルです。中間はないです。「理由があれば殺人は正当化される」というのはありえません。

それは、人の判断は、必ず間違える可能性があるからです。どんなにどんなに理由を正確に見極めようとしても、絶対とはいえない。裁判で人の生死を決めるなんてもってのほか。えん罪で死刑になった人だってきっといっぱいいるでしょう。例え殺人の現場を目の前で見た、間違いないこいつは悪人、と思っても、状況の全てを見通す目を人間は持ってません。そうでないかもしれない可能性は常にある。結局、システムの内側にいる限りは良かった/悪かったの判断など不能で、正当性があるか決定できる存在は神のみだと思います。

だから、理由があれば殺してOK、というのは絶対ない。死刑もだめ、戦争もだめ。仇討ちもだめ。あっちが先にやったっていってもだめ。自殺幇助もだめ、脳死患者の生命維持装置を止めるのもだめ。もし目の前で肉親が殺されようとしていて、犯人を殺す以外止める手だてがないとしても、見ていないといけません。人は、間違うから。間違わないためにはそうするしかない。

で、こんなふうに、中間がない、ってことはわかるんですけど、じゃあ殺しちゃだめなの?って聞かれると、これが、いまだに納得いく理由が見つからないんですよね。なんで殺しちゃだめなんだろう。ま、結論が出てないから、こんなふうにのほほんとしてられるわけなんですが。人殺しはだめーって結論が出ちゃったら、もう速攻で戦争反対デモに行かなくちゃいけないし、いやOK〜って結論が出ちゃったら、テロでXX人死にましたーってニュースを見て心を痛めてみせたり、でも結局何もしない自分に罪悪感を感じてみせたりする必要もなくなるんですけど。