すべての夢のたび。

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生きていてもいいですか、の変奏

 或る日の思考 2005/1/21分より引用
内容は、「生きていてもいいですか」へのコメントです。

「弱肉強食」ってのは恐らく世の中のシビアさを表現するため等に使われる熟語なのでしょうが、今では本当の弱者は肉にすらなれないのではなかろうかと思います。封建制度や奴隷制度下の社会なら別ですが。

強者は貪欲です。乱暴な言い方ですが、そういうことになってます。
そしてその強者が自らの肉になるようなものを見つけて、それを放置しておくなんて…まして餓死させておくなんて事は基本的にはないと思うのです。
放置されているのならば、それは”強者にとって自らの肉にはならないと判断されているという事になっている”からでしょう。
「判断されている」と書いたのは、実際に肉になるかどうかはまた別問題だからです。また「と言う事になっている」と書いたのは、コレが全体のシステムとしての話だからです。個々の判断は問題ではありません。

さて、楽゛さんの書いたものを読んで、ちょっと気になるとこがあったので、さらにコメント。

ひとつは、効率の問題です。肉として奪うより、その持てるものを奪った方がよりおいしいと強者が考えたら、そうなるでしょう。放置されたのではなく、奪われたその結果としての餓死かもしれません。もうひとつ、食物連鎖の観点からです。ライオンは地中のバクテリアを直接は食べませんが、食物連鎖的にはつながっています。餓死者はわたしたちから何段階もはなれている場合もあるでしょう。

もし餓死死体が足元にあったなら、なにも心を動かされない人は多分いない。現実には、わたしたちから何千Kmも離れていて見えないかもしれないけど、死体は確かにこの瞬間も世界のどこかにあります。たとえつながりが間接的で希薄だとしても、それをイメージすることは、大事だと思う。そこには想像力が必要です。

イランの映画監督モフセン・マフマルバフは、取材のためにアフガニスタンに入国し、飢餓で死んでいく何万人ものひとたちを目にしました。そして、世界遺産であったバーミヤンの石仏をタリバーンが破壊した件を引いて、こう言っています。

「私は、あの仏像は誰が破壊したのでもないという結論に達した。仏像は恥のために倒れたのだ。アフガニスタンに対する世界の無知の恥からだ。仏像の偉大さなど何の足しにもならないと知って倒れたのだ。」

「まだ心が石になっていなかった唯一の人は、バーミヤンの石仏だった。彼の全ての威厳を以て、この悲劇の無法さに屈辱を感じて崩壊したのだ。パンを必要としている国家を前に、必要もなくそこにあった仏は恥を感じて倒れたのだ。仏は貧困と、無知と、抑圧と、そして大量死を世界に伝えるために崩れ落ちたのだ。しかし無頓着な人類は、仏像の崩壊についてしか耳に入らない。こんな中国の諺がある。『あなたが月を指差せば、愚か者はその指を見ている。』」

これが、想像力というものだと思います。



これだけじゃなんのことやら?という人は下記を。
http://www.geocities.jp/toybako6945/ko02jan.htm
「アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ」
http://www.asyura.com/sora/war3/msg/570.html (なぜか上の書籍の原文の全訳があります)