すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

まったくまったくすごいと思われる、KOTOKOの新譜、についてちゃんと書く。

ぼくはおたく系の人間としては非常に友人関係がまずしい(としては、ってのも変だな。単に、無限定に、極度に友人がいない人間なのだ)。また、「いいものはいい。みんなわかるはずだ」という感覚もある。そのため、いいものについてどこがいいか人と語り合う、という訓練を今までほとんどしてこなかった。なので、いいものを褒めるにあたり非常に語彙が少ないことに最近気づき、なんとかしなくてはいけないと感じている。

そして、KOTOKOの『硝子の靡風 (初回)』だけど。これをどう褒めたらいい?


とりあえず、いま、家にいて起きている間は、このCDが流れていない時間の方が少ない。頭から最後まで流しっぱなし。『羽-hane-』より良いか? うん。むこうも好きだけどこっちのほうがさらにずっといい。シングル向きのテンポのいい曲でアルバムに引き込まれ、中盤をじっくり聴かせる。そして、ラスト3曲。『Free Angels』『β-粘土の惑星』『赤い玉、青い玉』へつながるラインは特に素晴らしい。この3曲だけ流して聴く、というのもよくやる。寝る前とか。

シングルカットされた、他の人の作った曲ももちろん文句なしにいいんだけど、ほんとにいいな、と思うものは全部KOTOKO本人の作曲だった。ラスト3曲もそう。なんだろうなぁこの人は。声が美しく、唄がうまく、歌詞も曲もいい。どれも「異様に」と言っていいレベルに、いい。“完璧”なものがあるとしたら、それにひとり近づこうとしている。怖いことだ。

抱いてよ ほら精一杯 ねえ
ここで生きてゆく喜びを


このアルバム中でいちばん好きな曲、『β-粘土の惑星』のサビの部分。“ここ”というのは“地球”に振られたルビだ。つまりそういうことだ。それをちゃんとわかってる人だけが、この一見陳腐な歌詞にほんものの感情を乗せて歌うことができるのだ。こんな人と同時代に生きている奇跡を、リアルタイムで曲が聴けるってことを、感謝してしまった。


まぁ、結局のところ、こういうものは単に出会いであって。KOTOKOがわからないからってダメだとは全然言わないけど。ぼくはこのアルバムがすごいと思い、そのすごさを感じ取れる自分自身も少しすごいのだ、というあたりに落ちつく。そういう出会いはあったほうがいいと、ないより豊かに過ごせるよ、と思う。KOTOKOって聴いたことあるけどちょっと良かったかもしれない、という人は、試聴くらいしてみてもいいんじゃないですか?


追記:『β-粘土の惑星』の冒頭。

本当だった……
偉い人が悟(し)った最期なんて関係ない事と思ってた
時が生んだクダラナイ雑誌に いつの間にか夢中になっていた


なんだこりゃ。中村一義じゃねえか! というわけで、中村クンっぽい歌詞が好きな人にもお薦めする。