すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

実名やら匿名やら

「実名と匿名」についての鋭いエントリーを見て、これ紹介しよう、と思ってるうちに、プライベートモードになってしまいました。ちょっとショック。id:hitotsugiさーん、戻ってきてくださいよ〜(って、プライベートでもidトラバになるのか?)。実は、その前もしばらくhitotsugiさんはプライベートモードで、やっと見れるようになった!のに、また数日で見れなく。残念。

で、記事自体はGoogle Desktop Searchでキャッシュから回収したんですけどね。便利すぎですよ。けれどさすがに、非公開の日記から引用するのは気が引けるので、全体の半分ほどを要約してみます。


hitotsugiさんは、「責任ある発言は実名でなければできない」なんてのは、まったく自明でないという。責任ある主体であるはずの「実名」で語ったとたん、嘘になってしまう種の発言がある以上、実名強制はある種の言説封じ込めとして機能する。たとえば、ほんとは多くの人は「働きたくない」と思っているのだけど(わたしも思ってますが)、社会的存在でいるためには、実名でこれを言うことはできない。つまり、社会的に生きるためには、わりと「正しいとされているが、思ってもいないこと」を口にし続け、演技をし続けなければいけないのだ。しかし、そんな人生の根幹に関わるところで嘘を突き通すなんて、実名派はほんとにそんなことをしたいのか?


というかんじの文章でした。「いまの社会をうまく回す」ための論理は基本的に「嘘」だ、とはっきり言っちゃってるとこが好感。このあとドルバッキーや老子も登場。あー、わたしの要約にはまるで味わいがないです。主張の鋭さのほかに文体もわたし好みだったので、アンテナに入れてたんですけどねー。


この論争では、実名/匿名というのは問題の本質じゃないんですよね。無人島かどっかにひとりで住んでるならいくらでも実名出しますよ。わたしがイヤなのは、「発言内容が、会社にいるわたしと結びつけられること」、基本的にそれだけです(あと奥さんか)。実名を出さなくても「会社だるいとかイヤとかバカとか、アレはキミが書いたの?」と特定されるのが困る、という話(まぁそういうのはあまり書いてないんで、自殺OKとか「反社会的」な発言が、きっとよろしくない)。実名が出ると結びつけがされやすくなるだけ。それが困らないのは、小学校の道徳レベルの倫理が身に染み込んで真実になってしまっていて、美しいことのみを吐ける口を持っちゃった人だけなんじゃないの?と思いますが。どうなんでしょうかね。