たとえば、デートで、待ち合わせ場所に行った。その時彼女が「<ぼく>じゃないという以外は、まったくぼくと同じ人間」と、楽しそうに話しているのを見てしまったら。同じ顔、同じ服、性格も、記憶も同じ、ただそれは<ぼく>ではないというだけ。
うちの過去記事ですが、今日の書き物はこれ読んでいること前提で。このころはまだアンテナ被登録数が10数個だったんじゃないかなぁ。しかしanotherさん(!)とnobodyさんにブクマされているのでした。
で、<ぼく>と「ぼくじゃない奴」と彼女。「ぼくじゃない奴」と楽しそうに話している彼女のもとへ、<ぼく>が歩いていきます。そして、彼女に、「<ぼく>が昨日まで君と付き合っていた人間で、いま君と話しているのは違う人間だ」と言います。「ぼくじゃない奴」も、それを特に否定しません。
そこで彼女はどう考えるでしょう。
- まったく同一人物にしか思えないなら、どちらと付き合っても変わらない
- 今まで付き合ってきたというその事実を尊重したい
(「あえて違う方を選ぶ」というのは、まぁないかなぁと)
およそ「私の○○」という形式で語られうるすべてのものは、<わたし>そのものとは別のモノであり、交換可能であり、単に<わたし>の属性である、とみちアキは考えています。ヒトとしての体、記憶、性格、そういった類のすべてのもの。これらの属性を全て廃した<わたし>そのものは、<あなた>そのものとおそらく見分けが付かないでしょう。異なるのは位置情報だけです。
「でさー、そういう、『属性なしの私』って、好きになれると思う?」と友人Yに聞いたら、「無理。」と即答されました。まぁ、そうでしょうね。ヒトは<それ>そのものを好きになるのではなく、それにひっついてるなんやかやを好きになるのです。
…ということを、ふつーのひとむけに翻訳したのが、
question:1125925157:detail
この質問です。もとの問いのエッセンスは含まれてるのがわかると思います。
そして、「ほんとに『属性なしの私』を好きになるのは無理なのか?」というテーマが一方にはあります。異なるのは位置情報(いつどこにいるか)だけなんだから、それを祝福してあげることしか、いまは方法を思いつきません。
で、それでもいいんだということを、回答者のひとが言ってくれないかなぁ?と期待したのが
question:1124462533:detail
この質問です。「位置情報の祝福」とは、「運命」とか、「それでも、出会ったのはこの人だったんだから」ってことです。
こんなふうなので、みちアキは、誰かに惹かれる自分を「どーせ属性に反応してるだけなんだし」と見るし、自分に惹かれる誰かに(まぁそんな珍しい人もあまりいませんが)、「同じようなタイプなら、別に他の人でもよかったんでしょ?」と思うし言うわけです。モテ非モテとかぶっちゃけどうでもいいです、そんな属性レベルの話は。