すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

小さな黒い箱

死とはどういうことか、ちゃんと考えること。


信仰する宗教のある人などは、一般的に言って、死後の世界や生まれ変わりがあると信じているようです。一方にはもちろんそうではない人、「死んだら終わり」と考えている人がいます。でも、こういう人たちも、たとえば「自分が死んだあとの世界はどうなるんだろう」とか「誰か悲しんでくれるだろうか?」とか「忘れられちゃうかなぁ」などということを思っていたりするわけです。しかしこれは実際のところ、とてもナイーブな思考です。そんなのぜんぜん「死んだら終わり」ではない。「自分の死後の時間に視点を仮設して考えている」という点で、死後の世界が存在すると信じている人たちと、本質的にはなんの変わりもありません。

だから、それのほんとのところをきちんと言ってみたい。言葉はどこまでそれに迫れるでしょうか。例を挙げてみます。

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「自分が死んだ後のようすを上のほうから見るイメージ、ってあるでしょう。あれはじつはちょっと間違っています」
「すこし想像してみてください。死んだら、あなたは、小さな黒い箱に入るんです」
「その小さな箱はたしかに宙に浮いているんですが、あなたの家族や友人には、その箱を見ることはできません」
「箱の中からは外の世界のようすはまったく見ることができないし、音もぜんぜん聞こえてはきません」
「そして箱の内側は、一片の光もないので真っ暗闇でなにも見えず、またどれだけ耳を澄ませてみてもなんの音もしない、完璧な静寂です」
「その小さな黒い箱は、外部とはまったく完全に切り離されているんですよ」
「想像できましたか?」




「で、ひとつ嘘をつきましたけど、その箱の中にじつはあなたはいないんです。それが“死んだら終わり”ってことです」

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「死んだら、君はたったひとりで他の世界へ行く。その世界には君だけ、君ひとりだけしかいない」
「君が誰かを目にすることもなく、また誰も君を目にすることはない」
「君はそこでただ眠り続ける、永遠に。その眠りの中では夢を見ることはない。そして二度と目を覚ますこともない」
「君は自分の存在にもう気づくことはない」

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「師は、死んだあとどこへ行かれるのですか?」
「冷たく硬くなって、お前の足元の土の中に横たわっていることだろう」

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最後のはどこかで見ました。禅かなんかの説話だと思います。「箱」の話は、以前blogに書いたものを手直ししてみました。