すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

叨について

耳のちょっと後ろがわの、やや上(眉と同じくらいの高さ)の皮膚の下の部分に「叨」という器官があります。目が“物”を見て、耳が“音”を聞くように、叨は“惣”を啌ることができるわけですが、まぁいまどきは、惣を啌られる人にお目に掛かることは難しいようです。

現代のほとんどの人は、叨が啌れない人、つまり「叨が不自由な人」というわけなんですが、こういう人に「“惣”とはどういったものか?」「“啌る”とはどういった感覚か?」を説明するのは、ひっじょーに難しい。というか、不可能に近いです。たとえば、目で感じる「明るい−暗い」が、叨で感じる「听きい−哘い」に相当するんですけど、と言っても、「?????」でしょうね。うーん、どうすれば、わかってもらえるんだろうか。

たとえば、生まれつき目が不自由な人がいるとして。その人は、ずっと「暗い」世界にいるんだろうか? 目という器官が一度も働いたことがなく、物を見たことがないのだから、「明るい」も「暗い」もわからないのではないだろうか、という気がします。センサーからの入力がゼロに固定されているというのと、そもそもセンサーがない、というのは違うのではないか。だから、叨が不自由な人に、「あなたはずっと哘い世界に住んでいるんですね!」って言っちゃうのは、ちょっと問題があるような気がします。叨がうまく働かない人に、「听きい」も「哘い」もないわけですから。

と思ったんですが、実際は、途中で「失明」した人もいるわけで、そういう人は「見る」という感覚を知っているのだから、いまそれがどういうふうになっているのか、尋ねることはできるんですよね(人力検索で尋ねるのは無理かもですが。音声ブラウザで聞いてる人いるかな?)。同じように、「失听」しちゃった人をどっかで捕まえて聞いてみたら、「叨が啌れない」というのがどういう感じなのか、少しはわかるのかも知れない。やっぱ「哘い世界になってしまった」と感じているのかな。でも惣を啌られる人じたいがレアなんで、「失听」した人なんてさらに見つけにくいでしょうね。