すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

『獄中で見た麻原彰晃』

以下、ちょっと汚い描写がありますので、注意して下さい。

起床

 被告は皆7時起床。この時間になると、房内に明かりがつき、備え付けられたスピーカーから、「朝の音楽」が流れ始めます。どんな音楽だったか、曲名はわかりませんが、すがすがしい「朝」を感じさせるようなもので、毎日同じ曲でした。我々衛生夫は6時半くらいに起床し、食事を済ませてからそれぞれの持ち場に集合します。そこで先生(刑務官のこと)が点検と称して、きちんと被告が房の中にいるかどうか、確認して回るのを待ちます。点呼というか、被告に自分の番号を言わせるのです。その際被告は自分が使った布団をきちんと畳み、箒とちりとりで清掃して、先生が来るのを待ちます。

排便と洗濯

 しかし麻原の場合は大分異なります。まず彼は朝、自分では起きません。それゆえ先生がドアを開けて布団を引っ剥がすのです。その剥がした布団を先生はそのまま廊下に出します。おむつをつけていても、取り替えるのは1日のうち、入浴前の1回のみ。入浴がないときには、運動の日に外に連れ出すときに替えるか、入浴もなく運動もないときには朝1回替えます。要するに、毎日1回しか替えないのです。当然布団は大小便で汚れることになる。それを干すのが我々の役目です。歌舞伎の幕にそっくりな、緑とオレンジの2色の縞模様の敷布団、掛け布団、それから冬には茶色毛布2枚が支給されますが、その全てを中庭にある物干し竿まで持って行き、そこで夕方まで干すのです。何故かわかりませんが、彼の布団は基本的に全く洗濯されていません。ただ干すだけです。雨の日もそのまま干し、洗濯の代わりにしているんです。
 一番ひどいのは毛布の状態でしたね。小便に濡れたものを陽にあてて干すので、ガビガビに固まっている上、当然ひどい臭気を放っています。洗いはしないものの、さすがに冬や雨の日など、干しても乾かないこともあるので、予備の布団も後になって2組くらい用意されました。これは42房においてありました。39房までは埋まっていましたが、そこから43房までは誰も入っていなかったのです。

特製の布団

 麻原の布団は畳と同様特別製です。普通の布団は中に綿が詰められていますが、彼はその中でも用を足してしまうため、汚物だらけになって腐ってしまう。これを防ぐため、よく枕の中身に使われているような、パイプというかスプリングのようなものが中に入った布団を特注して、それを使っています。掛け布団も敷布団も同様です。彼の場合、シーツはないのです。彼の布団や服、それから部屋も、とにかく物凄い臭いです。あれを嗅いで、私は「ああ、人間も動物なんだな」と思いましたよ。つまり排泄物で汚れた動物園の檻のような臭いなのです。部屋に便器があるのですが、それは絶対に使わず、垂れ流しです。いくらオムツをしているとはいえ、毎度毎度食事のたびに直径5センチ強、高さ20センチくらいのプラスチックの筒に入ったお茶を飲んでいるから、当然小便は出ますよね。先生は「あんまり飲ませると小便するから少なくしろ」と言ってましたよ。布団にしても、服にしても、大便より小便の臭いが染みついてますね。上下とも、とにかくびしょびしょなんです。なぜ上も濡れてしまうのか、おそらく寝ている間に小便をして、それで濡れてしまうんだと思います。


獄中で見た麻原彰晃』P15-19より引用。「衛生夫」とは、公判中の被告の世話をする、という服役をする受刑者のことだそうです。麻原彰晃の弁護人が、元受刑者で衛生夫だった人より聞き取りを行ったもの、とのこと。おそらく弁護人のひとは、これを事実と考え、世間に知って欲しい、という意図があってこの本を出版したのだと思います。というわけで、わたしの判断で通常より多めに引用しています。


ほか、同書より気になった部分をいくつか引用します。

P8

 当然初めて北三舎の担当になったばかりのときは、麻原がそこにいるなんていうことは知りませんでした。というのも、基本的には彼はあそこには「いないこと」になっているんです。房の入り口はクリーム色のペンキを塗った鉄扉です。その中央に縦50センチ、横15センチくらいの観察窓が設けられており、その中にガラスがはめ込まれていますが、麻原のいる44号は常にその窓の扉が閉ざされています。普通は中の様子を観察する意味で開けられているのですがね。また、その鉄扉の右側上部には「名札(めいさつ)」といって、被告の番号を記したプレートが据え付けられるようになっており、例えば「運動中」などと、その房の人間の状態がわかるようになっているのですが、麻原の場合は「空房」と記されているのです。

P24

 ただ私の目の前で発狂したり、大騒ぎしたり、ということはただの一度もありませんでしたよ。以前は朝起きるなり「ショーコーショーコー!」などと叫んでいたこともあったそうですが、今や廃人のように動かず、何も言わず、といった状態で毎日ひっそりと暮らしています。食事や着替え、入浴の世話以外には全く大人しいので、先生や衛生夫も「手の掛からない奴だ」などとも言っています。

P32

 とにかく彼は被告が本来持つべき権利をほとんど有していないのです。午後、衛生夫は、それぞれの被告に持ち込まれたお菓子や本などの差し入れが集められたところに行き、そこから房に配りに行きます。その際、麻原には一切の差し入れは入りません。それは差し入れる人が全くいないのではなく、拘置所が止めているからです。
 ただ、1回間違えて我々が差し入れを集めに行く場所まで彼への差し入れが来てしまったことがありました。確か甘いものか何か、お菓子でした。誰から来たのか、おそらくどこかの篤志家か誰かではないでしょうか。差し入れには被告の名前が記されているのですが、「松本智津夫」と書かれていたのです。私もどうすればいいのかわからないので、先生に「これはどうしますか?」と尋ねたのです。すると先生は「これはいいよ」と言い、彼の手元には渡りませんでした。書籍にしても、お菓子にしても同様です。


同書にはこのほか、二女三女の接見記、控訴審の状況や弁護人の接見記・インタビュー、精神科医による意見書などが収められています。ここに書かれていることが本当であれば、「訴訟能力なし、要精神鑑定」という判断にもなろうかと思います。ただ、個人的には判断を留保します。事実かどうか調べるコストは高そうなのに比べ、事実と判明したところで得るメリットが特にないと感じるからです。自分にとっての最善手は、人にこの本を紹介することだと判断したので、そうしました。気になる人は読んでみてください。安い本です。


追記:堀江氏も気をつけたほうがいいと思いました(気をつけてどうなるもんでもないか)。