すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「記憶がなければわたしではない」ではない

死んだら無であるを完全に信じているのならば

死も回復する見込みのない完全な記憶喪失も等価なはず。

それでも回復する見込みのない完全な記憶喪失を選んでしまう自分はどこかで魂の存在を信じているのだろうか?

記憶をなくしても最終的に自分であるならば魂が自分の何かを受け継ぐとでも思っているのか?


んー。いまなら前よりちょっと、反論、できるのかも。

たとえばあなたの目の前に、あなたと同じ記憶を持った人物が現れたとして(こんなのばっかですか?)。あなたが何を聞いても、あなたの過去について完璧に答えられて、おまけに見た目もあなたと同じだったら。あなたは「この人物は、見た目も記憶もわたしと同じものを持っているけど、わたしではない」と言うほかないでしょう。つまり「わたしがわたしであるかどうかを決めるのは、記憶ではない」ということです。

また、あなたが記憶喪失になって、自分がだれだかわからなくなった、とします。でも、「○○さんの両親」や「兄弟」や「○○さんの知人」がつぎつぎと現れて、「あなたは○○なのだ」と言うなら、そうなのか、と思わざるを得ない、のではないか。

それに、記憶があるからといって、あなたが昨日と同じあなただったとは限らない。もしあなたの記憶(および肉体)が寝てるうちにそっくり入れ替えられてしまったら? そうしたとき、あなたは記憶の入れ替えに気づくことができるでしょうか。できないはずです。だって過去までまるごと他人になってるはずですからね。(これは地球が化石も含めて3分前にそっくり今の状態で創造されたんだとしたら誰もわからねえっすよ、というアレに似てる)


「記憶がなければわたしではない」は、実は「記憶がなければわたしは生きている意味・価値を感じない」と取り違え・混同をしている、ということは考えられる。酔っぱらったときになんかして「あれはわたしではない」って言うのと同じ感じですか。


で、記憶がぼくではないなら、当然未来もぼくではない。今だけが今よ、ってアーシアンの、だれだっけあの子、エルヴィラ?も言ってました。