すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

なぜ社会は維持されねばならないのか?

ふと、シャカイ系ということばを思いついて、ググって見たらすでにあった(google:シャカイ系)、のだけど、ぼくはぼくの用法で勝手に使うことにする。


「シャカイ系のひと」とは、こうだ。

  • 「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに「殺してよい社会は滅びるから」と答える。
  • 「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに「そんな質問をするな」と怒り出す。
  • すぐ「国が」とか言う。
  • 半径3mで起きた問題を社会規模に拡大して語る。
  • 世の中には「あたりまえ」なことがあると思っている。
  • 「自分は特に気にはしないが、社会的にはそうもいかないだろう」という語り口を使う。
  • 要するに日本人の大半?

セカイ系は、世界のすべてを引き受けようとする。対してシャカイ系は、すべてを社会に押し付けようとする。おおざっぱにはそんな感じ。脳内用の言葉なのでこんな程度でいいです。

シャカイ系のエロゲとかどうか。主人公が、彼女に告白することは社会のためになるだろうか、とか悩む。だって人を殺してはいけない理由が社会のためにならぬ、なら、中で出すのは社会のためになるにちがいない! つーかゲームでなくともリアルでふつーに駅前でナンパしてる若者とか見たら「がんばれー、社会のためにー」とか、結婚式を見掛けたら「おめでとう! おめでとう! 社会にとっていいことをしたね!」とか、明日から心で思おうか?

「人を殺してはいけない」そう命令する主体は、社会である、そう私は考えます。法律も倫理も、社会がつくりだしたルールの一種です。では、なぜ社会は「殺すな(特定の場合を除いて)」と言うのか。理由は単純、そのほうが社会にとって都合がよいからです。むしゃくしゃしたという理由で「ほすげん!!」とかなんとか叫びながら地下鉄でジェノサイド行為を繰り広げる、そんな行為を推奨する社会があったら即・衰退です。お互いに殺しあうよりもっとマシなことにエネルギーを使うほうが社会の利益となるのです。ですから、社会は、その利益と存続のため、その構成員に対して殺人を禁止します。もしも不思議な魔法の力が働いて、人が死ねば死ぬほど社会が発展するようになれば、社会は殺人を推奨するようになるでしょう。

以上「なぜ殺」批判にかこつけた自己主張でした。全員死ね。


「社会は維持されねばならない」ということは、およそどんな人であっても疑わないみたいです。誰もそれを疑えない、あまりにもあたりまえに感じる。つまりこれほど強力なタブーはほかにないということでしょう(なにその陰謀論メソッド)。そんなわけで、ぼくはこれからそれを考えることにします。さすがにここまでくれば単なるおかしい人と見られて、「なぜころ」ほどにはあれこれ言われないのではないかと思いますがどうですか?

つーか社会を維持していったいどうすんだろう。ええと、太陽が膨張して地球が滅びる前には銀河中に移民するのかな? 宇宙が滅びるときにはタイムマシンでも造って過去に戻るのかな? それとも物理法則を修正する技術を開発して宇宙を延命するのかな? って、まぁそんなとこまで心配しなくても、そんなとこまで持ちはしないでしょうけれど。