すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

文化系女子とかどうでもいいので、ぼくはぼくの好きな女子の話をしますよ。

「先週の凹み具合はなんだったのか?」と言いたいのでしょう? はは、暴走気味と思ったら止めてくださいな(でもこういう日記の方が面白いんじゃないの?)。


メイドさんにお手紙をいただいたわけですが。(あらすじは昨日のエントリ参照


そんなこと(書けませんが)を打ち明けてもらえるくらい信頼されていたんだ、ということを真に嬉しく思う。そして、考え込む。彼女はどうも自己否定的・自罰的傾向がある、強い、ような気がする。自分はいったいどう映っていたのでしょうか、ほんとうは心は汚れているのです、と綴られる。

うーん、そうかなぁ?

まず第一に、ぼくの見た感じでは彼女はけしてそうではなかった。彼女のようにキレイな(心が)人は、ごめんひいき目もあるにせよ、そうそういないよなと思うけれど。第二に、そこからすこしだけ透けて見える、陰った部分・歪んでそうな部分も、ぼくは好きだったのですよ。そして第三に、心が汚れているということでなら、ぼくにかなう人はまずいないと思う。

あ───もう歌詞なんていらねぇ!! 直接 全部言ってやる!!
いいっスか!? 超不謹慎なこと言っていいスか!?
飛行機がビルに突っ込んだり どっかで戦争始まったりした時!! ヤな気分なのにどこかでちょっとわくわくしてるスゲー嫌な自分がいるんだ!!


ソラニン 2 (ヤングサンデーコミックス)」#15より、ライブ中に歌詞がぶっ飛んだ種田くん。そしてこういったことを感じることは、誰しもあるものではないかと思う。けれど、ふつうは、ああだめだな、よくないな、と、そういう気持ちを打ち消すように心が動く筈でしょう? でもぼくはそういうのはもうやめた。善い方向、あるべき方向に向けて、自分を正していくことは止めた。ぼくは人間の冥(くら)い部分を愛する。心の闇を愛する。そういう傾向を持ちなお改めようとしない自分をとても愛している。

ある人は、たとえゲームの中であっても人を殺すのは良くない、という。ある人は、フィクションであるなら別に何をしても構わないじゃないか、という。ぼくは、いやそれが現実ならなおのこと愉しいのじゃない?という。母親にタリウムを飲ませて衰弱していく様子をブログに書いてた女子高生がいましたよね。ゾクゾクしましたよ。「すごい! 人はここまでになれるんだ!」と思った。人間の可能性を拡げたと感じた。酷いニュースが好き。悲しい話が好き。やりきれない現実が大好き。犯人の心のなかを想像しながら、てのひらの感触を確かめてみる。

でもふつうに明るいニュースも好きなんですけど。涙もろいし。もうあからさまに感動させようって映画でもちゃんと泣くし。ていうかふつーの人が読む小説やマンガや、ドラマやゲームや、そういうの、同じように楽しめるんだから、そこのところは違う感性じゃないと思う。ただぼくは暗いものや救いがないものも大好きなのです。明るいのと暗いの、どっちかしか楽しくないって人は、人生の楽しみを半分捨てちゃってるのじゃないのかなぁ?


という感じで、どうですか、あなた(メイドさん)はそんなに心配する必要もないと思うけれど。だってこれより心が汚れてるってことは、まぁないでしょう? それともどっちが汚れてる合戦でもしますか?


てかこんなこと書いたらそもそも嫌われるんじゃないか?という。それはあるけれど。しかし実際なかみはこんな人なんだもんいつまでも隠していたってしょうがないじゃないですか。「ありのままの自分を好きになって欲しい」とかヌルいよなぁ。どこの誰がありのままがこんなな人を好きになるかっつーの(自滅)。