すべての夢のたび。

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人生はゲームであることを忘れていたい人たち

人生はゲームである。誰もが、気づいたらなにも持たずにこの世界に投げ込まれていたのだし、そしてここを去るときに持ち出せるものもなにもない。生きるにあたりなんの義務も負い目もない代わりに、勝とうが負けようがその終わりには得るものも失うものもなにもない。

ゲームというものを心底楽しむには、喜び悲しみをはじめ供されるあらゆるものを十全に味わい尽くすには、まるでそれがゲームではないように、あたかもゲームこそが人生の全てであるとでもいうかのように、その中で振る舞う必要がある。真剣に、本気になってプレイする者だけが、そこに仕掛けられた謎を解き、用意されてあった宝物を見付け出すことができるのだ。

そのためには、可能ならば、それがゲームであるということを知らないほうがいい。せっかく忘れているのだから、そのまま忘れ続けていたほうがいい。集中しのめり込んでいるのにただのゲームであることを思い出してしまったらプレイヤーは興醒めしてしまうからだ。裏技・ショートカット・隠れキャラ・隠しステージ、ゲームなのだからそういったものはいっぱい用意されているし、先人によって見い出された推奨ルート・攻略法や、そしてネタバレもまた多い。しかしそれを知ることは確かにゲームの展開を楽にはするかもしれないが、プレイヤー自身がそれらを見つけ出す醍醐味は奪われてしまう。プレイヤーというものは、どういうわけか、経験値が倍になるアイテムなら喜んで使うくせに、50倍になるアイテムなどは欲しがりもしないものなのだ。矛盾しているものなのだ。いつだって楽をしたいのに、そのくせ苦労して手に入れたものでなければ価値がないとどこかで思っているのである。

だから人は、うまいことを語る口には用心をするのだ。「本気でこのことを解決なさりたいならそれはおそらく難しいことじゃありませんよ」などと囁く声には耳を塞ぐのだ。言うな!聞きたくない!好きで苦労してるのに!私の楽しみを奪わないでくれ!と悲鳴をあげて逃げるのだ。甘言に耳を貸すことなかれ。他人の愉楽を犯すことを愉楽とする者たちに災いあれ。お節介者は地獄へ堕ちよ。


だがここまで読めばお判りいただけるように、この文章もまた人生における強力なネタバレである。当然、あなたの脳はこの情報を受け取ることを拒否するように働くだろう。そして明日からはまたなにごともなかったようにゲームを続けていくのだろう。

では、よいゲームを。


参考:人生はゲームだと考えたがる人たち