すべての夢のたび。

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「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」という問いについて

注:このエントリに用がある人はそれほどいません。タイトルでピンと来ない人は読まないように。


タイトルに引いた「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」という問いは、だいたいこのような意味です。わたしはなぜ、「この」〈わたし〉なのか? なぜ、A氏やBさんやC君ではなく、〈わたし〉だったのか? なぜ、他の誰でもない「この人間」に〈わたし〉が宿ることになったのか? なぜ〈わたし〉はこの人間の中から世界を眺めているのだろうか? なにか必然的な理由があったのか?

というような話は永井均的独我論というか、永井さんの本にはよく出てきますね。自分も、以前は、このことはすごくふしぎだったのですが、ずっと考えているうちに問いが解消してしまいました。ふしぎではなくなってしまったということです。たいていの人が「なぜ人を殺してはいけないのか?」を疑問に思わないのと同じように、「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」は今のみちアキにはまったく疑問ではありません。


攻殻機動隊のような未来になった、と考えてみて下さい。身体をサイボーグ化するような。そういったとき、たとえば視覚や聴覚やその他の感覚は、人工的なセンサーが送り出す信号を脳に入力する、という形になるはずですね。運動神経のようなものはその逆になります。脳からの信号をデコードして機械系を動かす、みたいな。

では、ここで、2人分の体信号を1つの脳に処理させることを考えてみます。目玉4個分、耳4つ分のセンサーを繋ぎ、腕も脚も4本を動かすことを考えます。たぶん、できるはずです(訓練は必要でしょうが)。脳の大半は使われていないというし。(腕を4本も動かせないと思いますか? じゃあ、そもそもあなたはどうやっていま腕を2本動かしているんでしょう。10本の指をどうやってバラバラに動かせるのでしょう? ただ、「この指を動かすぞ」って思うだけですよね? なら、指の数が増えたところで、おそらく同じことなのです)

さて、さらに考えを進めます。赤ん坊Aと赤ん坊Bの2人をサイボーグ化する実験を考えます。2人ともに、2人分の体信号を処理させることにします。ただし、両方とも同じ信号、ここでは、赤ん坊Aの脳に赤ん坊AとBの両方の体信号を処理させ(赤ん坊B側の信号は無線ででも飛ばすことにしましょう)、赤ん坊Bも同様に、ということにします。つまり両方の脳に入力される信号はまったく同じ、ということにするのです。

この赤ん坊たちが成長したとき、どうなると思いますか? おそらく、体は2つだけど自我は1つ、ということになるでしょうね。だって両方の脳は同じものを見、同じ音を聞く、つまりまったく一緒の動きをすることになるのですから。(脳内にはランダムな要素がないとした場合、ですが)


というふうな思考実験をやった結果、みちアキは、なぜ〈わたし〉はみちアキなのか?ということについて、単にそれはみちアキが見るものしか見れないし、みちアキが聞くものしか聞けないからだ、という結論に達しました。つまり、もし他人の見るものが見れたり、他人の聞く音が聞けたり、考えが解ったり、痛みを感じられたりするようになったら(自分以外の信号に色(=他人からの信号だよー、という)を付けないとして、ですが)、「〈わたし〉の範囲」は容易に変化しうるだろう、ということです(要するに「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?と問うことに大した意味はない」という解消の仕方をしたのです)。攻殻機動隊的未来が楽しみです。(いやいまでも感情移入とかでそれをやってのけちゃってる人はいるのでしょうが)

こんなふうにして、「わたしはなぜ〈わたし〉なのか?」という問いはみちアキにとっては「つまづかない」問いになってしまったのです。でもこの説明ではあんまりなっとくいかねえ、って方もいるでしょうね。しかし、なんとなくですけど、たとえば双子をほんとうに一緒に育てる、片時も2人を離すことなく、かつ、まるでそこに1人しかいないようにしてずっと扱ったとしたら、2人分の自我は育たないような気が、しませんか? 1.3人分くらいの自我になるんじゃないかなぁ(なにその数字)。