すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ほとんどの人間は「自分は死なない」と思っている

このことを確認するのは非常に簡単。「もし、『自分はいつ死ぬのか』が判ったら、生き方が変わると思いますか?」と質問をしてみればよい。余命が判ったら生き方を変える、好きなことをやる、と答える人は、つまりいまは好きなことをやってないのであり、いつかは好きなことをやれる日が来るんだとぼんやり夢見ているのであり、自分が明日にも交通事故で死ぬかもしれない、ということをすっかり忘れ去っている人なのである。

なんてことを、fromdusktildawnさんが奇妙なエントリを上げていたので、ちょっと考えてみました。

中島義道氏の著書は数冊読んだことがありますが、氏の「死に対する恐怖感」はほとんど異常なほどだと思いました。中島氏は「死んだら無になる。だから恐い」と言い、みちアキの人は「死んだら無になる。だから恐くない」と言います。なんで「無」が恐いのか、どーしてもどーしても理解できません。だって恐いと感じる自分すらいないじゃないですか。つまり夜に寝るのとなんも変わんないですよ。二度と目が覚めないだけで(だいたい寝るときに「二度と目が覚めないかも」って思いながら寝る人がいますか??) それに、「寝」に入った瞬間は知覚できません。あたりまえですね、そのときはもう寝ちゃってるんだから。「死」も同じで、世界を常に一瞬後にしか経験できない人間には、死んだ瞬間なんてものはわからない。「自分の死」を経験することは絶対にできないんです。そんなのものがなんで恐いのかなぞだー。

あと、まぁ、「人は必ず死ぬ」は本当ではないとしても、今の時代、自分が死ぬ前に不死テクノロジーが完成するか?ってーと、無理?って感じはしますよね。「自分が死ぬ」のは多分これからほぼ確実に起きるできごと。それが恐いならなぜ死を回避する努力をしないのか?は、うーん、回避する努力でより一層「死」について考えてしまうから、でしょうか。「死ぬまでの時間」を「死について考えることを回避するために使う」のがきっと彼らの人生なんですよ(ひどーい)。