すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「自由意志は存在しない」ということを、なるべく簡単に解りやすく説明してみたい

このブログでは過去に何回か「自由意志」をネタにしたエントリを書いたことがありますが、もう何を書いたのか忘れているので、あえて読み返さないでまた書いてみます。


さて、まず「自由意志」の定義です。とか言うとおおげさになるので、まぁふつうに、「いろいろな状況に際して、アレをするコレをするなど、自分の判断で行動を選択できること」くらいにしておきます。お昼に何を食べるかとか、休みの日にどこへ行くかなどを、自分で決められること。まぁそんなでいいでしょう。

で、人間の精神とか意識とか、そう言われているものについて。これは、現在の脳科学では「脳活動の随伴現象」という解釈が主流だと思われるので、ここでもその説を採ります。随伴現象、したがいともなう現象とは、まぁ自動車のエンジンと速度計みたいな関係ですね。エンジンの回転が上がれば速度計の針も動く。しかし針を指で動かしてもエンジンの回転は上がりません。そういった一方向の関係だとします。実際、ある種の薬物で気分が変化したり、脳が損傷を受けると各種の意識障害が起きたり、ということからも、まぁ妥当な説なのではないかと。よく「××××なんて脳内の化学反応の結果に過ぎない」みたいな言い方も見かけますけど、これも随伴現象説が底にある見方ですね。

またここでは、肉体を離れた意識、いわゆる霊魂の類は存在しないものとします。精神は、肉体(とりわけ脳)の存在を必須とする。このことも、まぁ普通に認めてよいことなのではないかと思います。


と、ここまでを「そのとおり」とするなら、もう「自由意志は存在しない」という結論はすぐそこです。所詮脳活動も物理現象に過ぎないのですから、原因は同じなのに結果が異なる、ということはありえません。物理現象に再現性がないのなら科学は成り立たない。たとえば状況Aから、あるときは状況Bになり、別のときは状況Cになる、というようなことは、ない。とすると、お昼前の脳の状態から、もう今日は定食にするかそれともうどんにするのかは決まってしまっているのです。「定食を選んだ脳」と「うどんを選んだ脳」では、明らかに物理的状態が異なります。しかし、物理的な結果が時によって「分岐」することなどあるはずがありません。

いや、量子論のレベルでは物理現象は非決定論的だ、という人。まぁミクロな領域ではそうかも知れませんが、ニューロンのレベルはもうマクロと考えてよく、物理現象はすでに決定論的に働くと思うのですが(ニューロンのレベルでまだ非決定論的だったらパソコンのCPUなんてまともに動作しないのではないか)。それにたとえ「ニューロンは非決定論的に活動することもある」としても、それじゃぜんぜん「自由意志」じゃないですよね。サイコロを振った結果に従って行動しているようなものであって、「意思」のような方向性があるものではない。

いや、それでも選択はできるはずだ、という人は、ちょっと考えてみて欲しいのです。いったいあなたは、何を「できる」と言っているのかを。それはおそらく、速度計の針を動かしてエンジンの回転を上げようとするような話です。脳活動の結果に過ぎない「精神」が、その原因であり物理的実体である「脳」に、どうやって干渉するのでしょうか。精神が脳に干渉するのではなく、脳のある部分が他の部分に干渉し、それが精神状態に反映されるだけなのです。そしてその過程はただの物理現象に過ぎないので、予測不能とは言えど決定論的です。


ということで、「精神が脳活動の随伴現象であるとするならば、自由意志は存在しない」でした。うーむまだ説明がこなれてないなぁ。またいつか同じネタで何か書くことになりそうです。