すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「エントリの内容」=「書いた人の主張」って、素朴すぎないかえ?

こんなに釣り場を荒らして! コマセ撒きすぎってid:REVさんに怒られるにょろ。


たとえば「あるある大辞典」は“納豆のダイエット効果を世に知らしめたかった”わけではなく、“視聴率が欲しかった”わけです。一般的に言ってTV局は、「真実を報道したい」のではなくて「スポンサー受けする番組を放送したい」ものです。ぼくはといえば、読んでくれる人に楽しんでもらえるエントリを書きたい、とまぁ、常々そう思っているわけですよ。そしてそれは今回はそこそこ達せられたようです。

「精神の定義も曖昧なままこの議論をしたい」わけでもなく、「自由意志が存在しないと主張したい」わけでもない。じゃあ何をしたかったのかって言うと、ちゃんとタイトルに書いてあります。“「自由意志は存在しない」ということを、なるべく簡単に解りやすく説明してみたい”、なんのひねりもなくそのままです。そしてエントリの最初に前提を挙げてあり、これらがもしも真ならばこういう結論になるのではないか?と言っているわけです。手ごたえとしては「思ったより簡単にならなかった…」という感じがあるのですが、なぜか予想以上にブクマをいただきました。ありがとうございます。


「自由意志は存在しない」という言明は、意外と感情的な反発を招きやすいようですね。おおむね笑い飛ばされるものと思っていたのですが。こういう類のエントリを上げるといつも的確なフォローをいただけるid:mindさんのブクマコメントを引用します

――(自分の選択決定なのに!)、環境状況と自分状態を設定仮定しても、「そのときになってみなきゃ判らない」こと。自分について自己予測不可能であること(不完全自己予測)。自分の判断構造が解らない故の「自由」感。


さっすが。つーかエントリ本文内に盛り込むつもりでいてすっかり抜け落ちてる部分。自由意志が存在しない(=未来が決定してる)と誰が困るの?って話ですね。映画とか、実は分岐もないしエンディングは上映前から決まってますけど、「じゃあ見ない」ですか? んなこたなく、ストーリーをあらかじめ知らされることがなければ充分でしょう。と思うのですが。このへんはid:sirouto2さんにいただいたトラックバックでも言及されていますが、だいたい自分も同じような立場かと思います。ホントのところは自由意志があるのかないのかなんて、神様にでも聞くほかありません。「あるような感じがする」で充分だと思う。

もっとも、神様は、つーかキリスト教の神様は、人間に自由意志をお与えになっているはずです。だって自由意志がないと「罪」の概念が成立しなくなってしまうので。もし他人に酷いことをしても、それは神様がそういうふうに人間を創ったせい。それじゃ困ります。救済にも値しない。仏教だとどうなんだろう。ぜんぶ空だから自由意志も空なのかな。でも日本国の法廷では「自由意志がないので私に罪はありません」と主張しても、「しかし刑を科すのも私の自由意志ではないので…」と返されて終わりですが。


Wikipediaの「自由意志」の項に、以前にちょっと触れたベンジャミン・リベットの実験の話と、別の実験の話が載ってました。被験者にランダムに左右のどちらかの手を動かしてもらう実験で、脳の片側を磁界にさらして刺激すると、その反対側の手を動かす確率が上昇するが、なおかつ被験者は「自分の意思で動かしている」と確信している、というものです。うっさんくさー。でも面白いですね。Wikiのこの項はいろいろ主張が違う人の筆が入っているようで、微妙な緊張感があります。