すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

自由意志ってどういうこと?

一本足の蛸 : 「自由意志は存在する」ということを、なるべく簡単に解りやすく説明してみたい

さて、今回の見出しは「で、みちアキはどうするの?」 - 「自由意志は存在しない」ということを、なるべく簡単に解りやすく説明してみたいの見出しを捩ったものだ。「存在しない」を「存在する」を置き換えたのだから、元記事に対する反論または批判を意図していると受け止める人もいるかもしれないが、別にそういうことを書くつもりではない。これはこれで独立した文章だ。


反論ではない、とのことです。が、trivialさんのこのエントリに対する反論のようなもの、が、ぼくではない人によって既に書かれていました。


哲学的な何か、あと科学とか : 自由意志


やってることはtrivialさんのエントリとほぼ一緒なのですが、結論は180度ちがいますね。うーん。


で、またちょっと考えてみました。今日は「人間には自由意志がある」ということにして話を進めます

再び、お昼に外食することを考えます。定食屋に行くのか、うどん屋に行くのか。しっかり食べたいから定食、栄養バランスを考えて定食、総カロリーを考えてうどん、時間がないのでうどん、なんかこのまえ店員に可愛い子がいたので定食、動物愛護の精神でうどん、まぁほかにもいろいろあると思います。

コンピュータの話。コンピュータは、入力があって、なんか演算して、結果を出力するものです。キーボードやマウスを操作し、ソフトが動き、モニタにグラフィックが描かれたり、音楽が流れたりする。結局コンピュータというものは、内部でどれだけ高度で複雑なアプリケーションが動いていようが、最終的には絵が出て音が出る、やってることはただそれだけです(まぁ多少の例外はありますが)。

では人間をコンピュータにたとえると「出力」はいったいなにか?というと、これはもう、実際の行動そのものですよね(念力で物を動かせる人を除く)。要するに、脚の筋肉を操作してうどん屋または定食屋まで移動し、声帯を震わせて音声を発し、出てきた食物を腕の筋肉を操作して口まで運び、咀嚼し嚥下する。うどん屋または定食屋を選択した理由がいかなるものであろうが、どれだけ崇高な理由があろうが、俗な理由だろうが、結局やってること=「出力」はどれもみな同じ、「手や足や口を動かしている」、ただそれだけです。つまりここでは「人間には自由意志がある」ということは「人間には随意筋が備わっている」ということと同義であり、それ以上のことではありません。

もしここで、「人間には自由意志がある」ということが「人間には随意筋が備わっている」という以上のことである、と言いたい場合は、「人間の行動は、その結果よりその意図が重要である」と言いたいということになります。そうでないならば、「意図より結果」です。たとえば「偽善でも人助けになりゃいいんじゃね?」みたいなロジックは、前者の場合は否定されることになります。後者を採るならば、「一生懸命やったけどダメだった」場合、「一生懸命」の部分は評価に値しない、ということになりましょうか。