すべての夢のたび。

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「正しさ」に関するメモ

まえにsirouto2さんにTBをいただいた時の「XYZ軸の図」は使い勝手がいい気がします。のでちょっと拝借。



機械的身体と意識について」というエントリでは、この図に下記の説明が付いています。

簡単なモデルで喩えると、自然科学が扱う領域は、上図の平面データ、すなわちX軸Y軸で構成される平面における線の位置である。これは基本的に一義的・静的に決定される。さてこの図に対して、Z軸(奥行)を読み込んで、平面図から立体の情報を得ることもできる。Z軸は実在しないとも言えるし、約束事の上では存在するとも言える。同じことである。


そして、「自由意志」はあるともないとも言え、「機械の意識」もそしてまた、ということになります。

ところで、「正しさ」という概念も、実はこれらと同様の(Z軸に属する)ものです。あると言ってもいいし、「そんなものはない」と言ってもいい。ですが、自然科学の領域(X軸Y軸)には「正しさ」なんてものはないのです。「間違った軌跡を描いて落ちるリンゴ」とかいうものはない。リンゴはただ「あるがまま」に落ちるだけです。その軌跡を、あえて「正しい」と言ってみてもいいのですが、ならば世界で起きることのすべては正しいということになります。

正しさという概念は人間のいるところにしか存在しません。そしてこれに類似のものはいっぱいあります。およそ世における議論で人々の意見がなかなか一致を見ないような概念のほとんどは、まずこの「Z軸」絡みなんじゃないかと思いますね。正誤しかり、善悪しかり、美醜しかり。

ですから、fromdusktildawnさんのエントリ「意識の謎を解いてみました」に出てくる「赤いという感覚」を「正しいという印象」に書き換えてみてもいいわけです。では書き換え↓

つまり、脳のニューロンの活動を、分子レベルでどんなに精密に観察しまくっても、「正しい」とか「善い」とかいう「印象それ自体」は、どこにも見つからないのです。

正しいという印象それ自体も、意識も、全ては、ニューロンの塊の動的状態に過ぎず、しかも、「正しいという印象それ自体」は、科学的な記述は原理的に不可能なので、科学では記述できなくて当たり前だからです。


このような感じ。


―――


もっとも、ここにはもう1つの罠があるとは思うんですよね。それは「sirouto2さんのエントリやfromdusktildawnさんのエントリ自体が、科学的世界観の内側から書かれたものである」ということです。そもそもの世界観を共有していない/受け入れられない人からは「何言ってるの?」ということになる(まぁこれは「おたがいさま」なのですが)。「聖書によればやがて世界の終わりが来るのであなたは悔い改めるべきです」「いやわたしは仏教徒なんですが」みたいなことです。