すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

なぜ××

ぼくは以前「なぜ人を殺してはいけないのか?」というようなことを主題にした記事を書きました。あれ? 人力検索に出したのが先でしたっけ? そしてその記事は、コメントもらったりブクマされたり、トラックバック飛んできたり引用されたり、同意されたり反論されたり怒られたりいろいろして、すこし盛り上がって、まぁ楽しかったですよね、と本人は思っています。で、どなたかがそのへんのあれこれを「なぜころ問答」と名付けてくれたんでした。

その「なぜころ」を3行でまとめてみる。

  • 「人を殺してはいけない」理由は実は存在しない
  • しかし「人を殺してはいけない」ことを前提に社会は成り立っている
  • よって「人を殺してはいけない」理由を問うことはタブーとされている

こんなところでしょうか。ちがくね?という方もいらっしゃるとは思いますが(思いますが〜、そう思ってしまう人はすでに「なぜころ」に取り込まれつつある!)。


今回、殺人ではなく自殺について考えを巡らせているぼくなわけです。しかし、自殺もまた「いけない理由」はないんだろうな、ってことが最初から見えてる分、前回よりちょっと楽な気がする。だから今回はもう少し先まで行きたいと思う。「なぜ自殺をしてもよいのか?」 なぜじさ? ごろわるー。まぁそのあたりまでは射程範囲と考えています。

「殺すな」なんてあえて言われなくとも、ふつうの人は「殺そう…」などとそもそも思わないので、「なぜ人を殺してもよいのか?」という問いは成立しにくいと思います。が、死のう…って人はいる。いっぱいいる。だから「なぜ自殺をしてもよいのか?」という問いを問い、それに答えることに意義はあると思っています。

まぁ、意義なんてないですよ、と言われてもやりますが。ぼく自身が「いずれは自殺を」と考えている人なので、自分自身のためにソレを肯定してやる必要があるのです。つまりぼくのシゴトなのです。自殺ジサツ言うとセンセーショナルっぽいんですけど、老衰で死ぬのでなく、病気で死ぬのでなく、誰かに殺されるのでもなく、この世を辞すタイミングはじぶんでえらびたいよ、ってだけなんですけどね。こういう言い方ならわりと、同意いただけそうな気もするのですけれど。