すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

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404 Blog Not Found : News - 開けたくもないし、ましてやめでたくもないけど


引っかかってしまったのでなんか記事書かないとなぁ、と思いつつうまくまとまらずにいました。まぁ書いてみよう。

まず注意。リンク先のエントリには、最近のガザ地区空爆の犠牲と思われる、幼い子供の死体写真があります。そういうの苦手な人は心してリンクを開くといいかも?(グロというほどではないです) ぼくはこのエントリからリンクされてるFlickrの"Gaza Holocaust"セット99枚もスライドショーで全部見てきましたけどね(ダブりの写真が多かった)。 どうしてか、死体写真って見ちゃいますね。積極的に探し回りまではしないけど、リンクがあればクリックしてしまう。あまり認めたくないけど、その行動から考えたら“好き”なんだろうとしか思えません。

話がすごいそれた。

「イスラエルが悪い」「ハマスが悪い」、多分どちらも悪いのだろう。
だけど、この子は一体何が悪かったのだろう。


「この子」はその死体の子。うまいこと言え、ってお題ではないでしょうが、ぼくはこの子は運が悪かったのだと思います。別にうまくもないか。

ぼくは運がいいです、日本人ですからね。日本人であるというだけで、たぶん世界の「幸福な順番リスト」の上から1割くらいのところに最初から入ってる(もうすこし政治的に正確に言うと“日本国内に住む日本国籍を持つ大和民族であるというだけで”かな)。それは、たとえ「派遣を切られて明日から住むところもありません」って状態であってさえそうだと思う。そのぐらいここは恵まれた国なんじゃないでしょうか。

「異国で異邦人たちが勝手に殺し合っている」。そう思い込めたらまだ気が楽だ。
しかし、彼らの世界と我々の世界は繋がっている。

繋がってはいる。しかし出来ることが何も思いつかない。この無力感もまた、"Collateral Damage" とやらなのだろうか。
世界はあとどれくらいの Collateral Damage に耐えられるのだろう。


元のエントリは短いので、これで大半引用してしまいました。"Collateral Damage"は「目的達成の課程での避け得ない犠牲」みたいな感じでしょうか。

運が悪かったひとたちに何をしてあげたらよいだろう。「出来ることが何も思いつかない」という気持ちは理解できます。ぼくが生きていくために必要な最低限のお金と(労働に費やす)時間、それ以外のぼくのすべてをガザのために振り向けたとしても、きっと事態は1ミリも動かない。もちろんそんな極端なことはやれないし、そもそも世界で起きてる急を要する問題はガザだけじゃない。

ではどうすればいいのか?という問いには、べつになにもしなくていいんじゃね?とぼくは答えたい。

何もしなくて良いと思う。運の良かった人が運の悪かった人に「してやるべき」ことはないのだ。運が悪かったのは彼等のせいではないけれど、おなじように、運が良かったのはぼくのせいじゃない。たまたま、そうなのだ。それは生得的な特質なのであって、そのことを恥じる必要はどこにもないと思う。幸運は譲渡できない。あなたがあなたのその運の良い生を生きないなら誰が代りに生きてくれるというのか?

しなければならぬ、しなければならぬ、と唱えて罪悪感を感じつつ生きることのほうがよほど精神的に不健康だと思います。やらなければならないことなんて世界にはなにもないと思うし、やらなければならないという「否定的な気持ち」から発した行動なんてロクな結果を導かない気がする。いま、そういう気持ちにならないことについて、ぼくは、罪悪感を感じるのではなく、堂々としていたいなぁと思うのです。そっちのほうがいくらかマシです(まぁそもそも、「やる人」はこんなエントリも小飼さんのエントリも見ないでとっくに走り出してるだろう)。


ぼくは、ぼくが「やりたくなる」のを待ちます(というか、もしある日やりたくなったら勝手にやるので別に待っているわけでもない)。それまでの間、なるべく自分に言い訳をせずに(このエントリがすでに言い訳だけど)、与えられた運の良い生を満喫したいと思います。ぼくは幸福だし、幸福ってみなが目差してるものだし、だから既にその位置にいる人がそれを手放してまで他人になにかする必要があるとは思えないんです(もちろん、やりたければやればよい、というか、やる人はやってる。くどいけど)。うわーダライ・ラマに怒られそうだ。でもそう思うんです。


うーん。言いたいことの6割くらいしか書けてない感じ。まぁいいか。もっと考えます。すごく目立つツッコミどころがあるので、そこに指摘が入ったらひとりほくそ笑むことにする。