すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ハケンムラパッシング

すんごいおおざっぱに、雰囲気で言い切ってみますね。

  • うまくいっている人≒自己責任論者≒ウヨ
  • うまくいっていない人≒非・自己責任論者≒サヨ

人は、同じ人が、うまくいっていれば右っぽく、そうでないときは左っぽくなる傾向があるんじゃないかなーと、そんな気がいたします。ところで、「自己責任」の反対のことばがわからなかったのですけど、なんて言えばいいんでしょうか。やっぱり、「俺のせいじゃない!」って強くは主張しにくいってことですか?

ひとまずおいといて。


すくらむ : 派遣村バッシングの背景にある根強い自己責任論 - 人の生存より市場原理優先の新自由主義は退場を

こちらのエントリを読むと、「自己責任」論に問題があるらしい、ということが非常によくわかります。と言っても主要部分は「生きさせる思想―記憶の解析、生存の肯定」という本からの引用ですが。そしてそれをさらにコピらせていただきます。

 小森 人が何かの行動をとった場合、その人は自らの責任においてそうしているんだというだけの話を、結果をもたらしたすべての原因に本人が責任を負うべきだという話にすりかえてしまっているのが「自己責任」論だと思います。ある行動を起こす原因には、その人が責任をとりようもないことがたくさんあるし、行動の選択肢が限られていたなら、その選択の前提は本人が決定しようもないことが大半なわけだから、「自己責任」論は現実には成り立たない議論です。


つまり、あの人たちが派遣村に辿り着いたのは、決して全部が全部彼らの責任というわけじゃなく、まぁ会社が悪かったり、政府の施策に問題があったり、社会が無関心だったり、そういったもろもろの結果なんだよ、みたいな話です。

うん、まあわかる。そうですよねと思う。しかし。

じゃあ、いまみたいにぶーぶー文句垂れることになる前の彼らは、うまくいっていた頃の彼らは、会社や政府や社会に感謝していたの?ってハナシなんですけれど、そのへんどうなんでしょうかね。うまくいかないのを自分の外側のせいにするなら、うまくいってる時は自分の外側のものに感謝すべきと思うんですが、違いますでしょうか。それともやっぱり、最初に書いた通り、うまくいかなきゃ奴らのせいで(サヨ)、うまくいったら俺様流石(ウヨ)、そいつが人って言うものサ、ってことなんでしょうか。なんでしょうね。

派遣村を批判する人は(自分もいつかそうなるかも知れないという)想像力が足らないって言われてますが、彼らも想像力、足らなかったのかも知れないですよね。まぁまぁそれはそれこれはこれで現にたった今彼らはすごく困っているんだからさっさとなんとかするほうが大事? うんそれでもいい。それでもいいけど、もしぼくが街中で彼らのための寄付でも求められるようなことがあったら、一発ひっぱたかせてもらってからでいい?くらいは貯金とかはしてなかったんですか?くらいは聞いてからにするかも。


うまくいかない時は理由を外側に求め、うまくいった時は自分の力と思う。そういうメンタリティ、わりとふつうにあると思うんですけど、目差したいのはその反対のものかなぁ。うまくいかない時は自らを省み、うまくいった時は周囲のおかげと思う。だってほら、「うまくいった」人のインタビューとか見ると、みんなそんなふうなこと言ってるじゃないですか。え、あれフィクション? 信じるやつがナイーブ? まぁいいですよ。ぼくはそっちのほうをより美しいと感じるし、昔からの日本人のココロっぽいと思う(ウヨきたウヨ!)。少佐だって言ってたし、「世の中に不満があるなら自分を変えろ」ってね。自己責任論の内面化ダーとか洗脳されてルーとか言われようがそっちのほうがいい。