すべての夢のたび。

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事実の所在

Log of ROYGB : 宇宙が消滅しても記録は残る


先日の「ハンディカム」エントリに対して、ROYGBさんよりトラックバックをいただきました。実は「ゴルディアスの結び目 (ハルキ文庫)」は読んでいる、はず。しかし読んだの前過ぎてどんな話だったか記憶がまったくないなー……。少なくともハルキ文庫ではないです。

で、おおもとの増田の「宇宙消滅」エントリ、これぼくたぶん数十回は読んでしまったんですけど(短いし)、そこで思ったことのひとつを書きます。そしてそれはROYGBさんのエントリと微妙に関係なかったりします、すみません。記録と事実はべつものですしね。まぁ触発されたのですということで。


前に書いた気もするんですけど、「“事実”はどこにあるのだろう」という話です。

何をしたところで、100億年してしまえば、宇宙自体が消滅してしまう。

その時には、自分がいたことを、覚えている人もいない(いなくなってしまう)し、自分が残したすべての足跡は、すべて、跡形もなく消えてしまう。


これを書いた人は、「宇宙が消滅すれば、事実も消えてしまう」と考えているようにぼくには感じられます。そのわけは、たとえば「杉原千畝氏は6千人のユダヤ人の命を救った」とか「南京大虐殺によって×人(不明)もの中国人の命が奪われた」というような“事実”は、たとえ宇宙が消滅したところで無効になったりはしないだろうと感じられるからです。

でもほんとうにそうなんだろうか? なら“事実”はどういった形で存在していると言えるのか?

……ということをきちんと考えていくと、結局「その事実があったという信念が、それぞれの人の頭の中に存在する」ということになりそうな気がするのです。「誰もいない森の中で木が倒れたとき、音はしたのかしなかったのか」というあれと同じです。“過去”と似てるかも知れません。過去はどこかに存在するわけではなくて、記憶の形でそれぞれの人の頭の中にあるだけ、だと思う。

でもそれはあったんだよ!と言いたくなるのですが、「モノ」でも「空間の性質」でもない「事実という何か」が「ある」ということはいったいどういうことなのか?を考えると、いや〜それは個々人の脳内に……としか言えなくなるんじゃないでしょうか。

となると、「意味がなくなる」まで100億年もいらないですよね。5億年後にはもう太陽の熱で地球に生物は住めなくなるらしいですし、人類の寿命ならもっとずっと短そうです(他の星に移住でもしていなければ)。いやでもやはり宇宙が消えようが杉原千畝は!南京は!とどうしても言いたくなってしまうのですが、それでもやっぱり、その“事実”は、宇宙の終わりを超えたその先なんてものをなんとなく想像できてしまうぼくの脳が、現在の時点から支えている“事実”に過ぎないのだろうと思います。

というわけで、増田の人が死んだら増田の人にとっては意味がなくなるね、というすごく普通の結論に落ち着けることも可能な気も。