「で、みちアキはどうするの?」 : ひとまず「死後の世界」を信じてみる
ROYGBさんにトラックバックをいただきました。
Log of ROYGB : パスカルの賭け
ぼくも、件のエントリのアイデアを思いついたときに、あーこれパスカルのあれだよなーと気づいてしまいました。で、実は「パスカルの賭け」については過去にこの日記でも触れたことがあります。
「で、みちアキはどうするの?」 : いたほうがたのしいと思う
若いわ、2005年のみちアキは。読む気しない。読むのが辛いです。すごくいたましい。ただ今回のエントリは、形式こそパスカルの賭けっぽいですが、もうひとつ別のアイデアを含んでいます。「幸福のうちに人生を終わらせること」というようなものです。寝てる間にポックリ逝くのがいいよね、とおじいちゃんおばあちゃんが言うような感じです。
例えばとてもとても幸せな人がいて、でも30歳の時に寝てる間に心臓発作で死んでしまった、と。これを、「若いのに可哀想」とか「まだまだやりたいこともあったろうに」とか、そう言いたくなる気はありますけど、死んだ本人にしてみればそんなことはないですよね。最後まで幸福なままで人生が終わり、後悔も怖い思いもなにもしていない。幸福な時間はどこで切断しても幸福なのです。まぁもしも霊かなんかがいて、「もっと生きたかったんだけど……」とか発言してしまうことがあり得たら、そうでなくなる可能性もありますが。
あとは"LifeHack"でほんとに「人生のハック」をやってみたかったとか、ライフハック系の記事の明るくてうさんくさい文体を真似てみたかったとか、そのへんのところです。
nijuusannmiriさんのコメントへのおへんじ。おひさしぶりです。
というか、自分の死が自分だけで完結していれば「みちアキさんのおっしゃるとおりだな」と思うのですが、実際にはいろいろしがらみがあるわけで、「自分が<今>死んだら、この家族はどうなるのかな」という想像はいろんな意味で恐怖なんですよね。
いやー、この観点はぼくにはなかったですね。必ずしも万人にフィットするエントリが書けるわけじゃないよ、とかいうレベルでなく、ずっぽり抜け落ちてた。自分でも怖くなるくらいです。
「<今>死んだら」ですか。うん、nijuusannmiriさんは<今>死ぬかもしれない。でも、もしかしたら、<今>死んだのはnijuusannmiriさんではなく(不謹慎な表現ですみませんが)ご家族のほうだった、ということもあるかも知れませんよ? ならば、人と人はどうするべきでしょうか? 時にはさよならを言う暇すらないこともあるのです。………ということを知らせるために、このぼくはいなくなったのではなかったのでしょうか。(そして、いつかまた会えるかも、ということを知らせるために戻ってきたのでしょうか??)
自分が死んで家族が悲惨なことになったら、もちろん悲しいし、なんだかんだ上手くやっていったら、嬉しい反面それはそれで寂しいというか恐ろしい。
前者は、保険に入るとか(笑)。それでだいたい解決するというか、後者の「なんだかんだで上手くやっていく」状況になると思われます。これはダブルバインドか? まぁ後者の解決策はシンプルで、「現実を認める」だけだと思いますが……。
だから、「『死後の世界』を信じる」だけではちょっと足りなくて、「『死んだら神様になる』と信じる」ならば、死の恐怖を乗り越えられそうですね。って、あれ?
「汝は其れ也(なんじはそれなり)」ということばがあって、これは要するに「おまえが神だ」という意味だと思うのですが、こういうことを言っている宗教は実はけっこう多いと思います。
- 作者: アラン・ワッツ,竹渕智子
- 出版社/メーカー: めるくまーる
- 発売日: 1991/01
- メディア: 単行本
- クリック: 3回
- この商品を含むブログ (2件) を見る
で、この本、一冊まるまる使って「汝は其れ也」について書かれていてとてもお薦めなんです。でも、絶版で、アマゾンのマーケットプレイスで定価の3倍くらいの値段になっちゃってます。まぁちょっとご紹介してみましたということで。
namelessさんへのコメントはこの後の予定。→エントリ起こしました、30日分へどうぞ。