すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「自己責任論」を批判するエントリの気になったところを挙げてみる

reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定) : 派遣切りされた人間にも「自己責任」がある、と言う議論について

「悪人」には矛盾がある。

1)彼は生まれながらにして、その性質、その気質が「悪人」であるから、彼は悪人である、と言える。
2)しかし、彼が行った行為は、彼の「自由意志」で行われた−「善」なる行動も選択できた−ものでなくては、「悪」とは言えない。

かれが自分の「自由意志」とは別に行動したのだとすると、彼に責任は問えないのだ−つまり「心神耗弱」状態と同じだということだ。


ぼくは、2については「責任は問えないが悪」と言える行為もあると思う。どういうことかというと、例えばここに「脳を操作して人の行動を操れる機械」があるとする。それで「これからお前をこの機械で操って殺人をさせる」と言われ、そうさせられたら。これは責任は問えないが悪ではないのか。拒否が可能ならそうしたいところだ。

というのはまぁ、余談で、1の「生まれながらにして」というところを読んで、口の端を歪めて笑う赤ちゃんを想像してしまいました。

だから、
1)悪人は元々「悪い」ことしかできない
2)にもかかわらず、彼は「善行をなす」可能性を持っているから、その行為に責任を持たなければならない

ということになる。
必然的に悪事をはたらく悪人が、善行をなす可能性を持っている?
矛盾である。


これは、まぁ矛盾でいいと思う。しかし?

この論理は、「自己責任論」に直接繋がる。

人は、困窮している誰かを「自己責任」の結果である、と言う。

1)彼の生来的に持っている性格であり、彼はそういう性質、気質を持っているから、彼はそういう行為に及んだ、と言える。
2)しかし、彼は「自由意志」で、今の困窮の状態に置かれているのであり、それは彼の選択の結果である。

という矛盾だ。


上の文章で問題なのは「そういう性質、気質」というぼかされた記述だ。ここをはっきり書いてみると「だらしない」とか「楽なほうに流されがち」とか「計画性がない」とか、そういう“否定的な言葉”が入ることになるだろう。

そう、reponさんは、派遣切られの人は「そういう性質、気質」なのでそういう行為しかできない、だから彼らに自己責任を問うてはいけないんだよ、と言っているのだ。これはちょっとひどくないか(笑)。ぼくならここから矛盾を導き出すよりは「2)しかし、彼は仕事はちゃんと行っていたしまじめに働いていた」「なので、“そういう性質、気質”だというわけではないのだ」と続けたいところだ。

「1)の前提が現実とあってないんじゃないだろうか」というのがぼくの思ったことです。