すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

著作権は空気中を伝わらないよね

あたりまえですね。だから、DRMで保護されてコピーできない曲でも、スピーカーから出てくる音なら録音できるわけです。音は空気中を伝わるけど著作権はそうではないので。


まぁ冗談です。最近の「デジタル私的録画問題に関する権利者会議」のなりふり構わぬ様子がほほえましくて、ちょっと語ってみたくなりました。

で、まじめな話をすると、著作権などというものは「王様は裸じゃないってことにしようぜ」っていう取り決めに過ぎないわけです。というか、およそ「権利」というものは全部そう。ぼくと、あなたが、「この曲には著作権がある」ってことに同意すれば、ぼくとあなたの間ではそうなる。みんなが同意すればみんなの間でそうなる。でも、「王様はほんとは裸」なので、「著作権の有無」に関わらず曲のコピーは可能なわけです。「権利」というものはそういう性質なので、「加害者の人権」に同意しない人がいれば、それはあるんだかないんだか?みたいな論争になるし、眺望権?プライバシー権?期待権?なんですかそれ? んじゃそれがあるかないかは裁判で決めましょーかーみたいな話にもなる。

著作権は、それを「ある」と思っている人の頭の中にあります。作曲者が持ってるとか、曲に付随していたりとか、そういうものではありません。著作権があろうがなかろうが、曲自体にはなんの影響もないでしょう?(音質や音程が変わるとか) 実際、著作権のある/なしは、物理的現実にはまったく影響を及ぼしません。いや、どっかのHDDや書類に記録されてる内容や誰かの脳内のシナプスの結合がちょこっと変わるとか、そういうことはあるかも知れませんが。


あれこれはすっとばして、Radical(根本的)な話をします。そもそも音楽とはなんであるのか?

ぼくは、音楽を音楽として成り立たせている最小限のものはなにか、ん〜っと考えてみました。そしてその結論はこうです。この場面を想像してみてください。ひとりが、歌をうたう。あるいは楽器を弾く。そしてもうひとりがそれに応える。拍手をする。体をうごかす。その往復の運動が、それ。声で音で、伝え・送られたそれを、体で言葉で、受け取り・返してゆく。

ここに原初の音楽があります。実に音楽とは、音楽を音楽として成らしめている核心は、たったこれだけのことです。2人居さえすれば、それは成る。だから、これ以上のものごとは、音楽の本質には関係がないのです。

たとえば。

やれMP3だWMAだAACだというファイルフォーマットの話は音楽に関係ありませんし、レコードだCDだダウンロードだストリームだというような配布メディアの話も音楽とは関係がない。オリコン初登場何位とかゴールドディスクとか紅白とかレコ大とかそういう売れた売れないの話も音楽の本質には関係がないし、誰々はロックだいや違うだろとか、アイドルだからだめなんじゃねとか、最近の曲は個性がない昔のほうがよかったとか、そういった論争の類も音楽とはぜんぜん関係がありません

音楽評論家とかレコード会社は音楽とは何の関係もありません
音楽出版会社や原盤権の話も音楽と関係ありません
DRMとかコピープロテクトとか、CDの売り上げ減少とか違法ダウンロードがiPodに何曲とか、そういった話は音楽とはまったく関係がないものです
「デジタルコンテンツ流通の将来像」とか「私的録音録画補償金制度のあり方」だとか、そんなものは音楽とは関係がない
作曲家協会は、権利者団体は、音楽とは関係がない
JASRACは、音楽とは関係がない


JASRACは音楽とは関係がありません。ちょっと前まではひどかったですね、CD1枚3000円とか。これのどこがひどいのか挙げてみます。

  • 印税は1割くらい
    • あなたが3000円のCDアルバムを買っても、アーティストには300円程度しか入りません(注:契約形態によってだいぶ異なります)。中間に人が多すぎる。
  • 代金先払い
    • 買って聴くまで良し悪しもわからないのに、先にお金を払わなくてはいけない。食べ物だったらたとえ口に合わなくてもお腹はいっぱいになるし栄養もある。けれど合わない音楽は??
  • 固定価格
    • 新人と大御所が同じとか。いやいや、××××様とあいつが同じとか!?って、あるじゃないですか。

ぼくは、3000円払って300円しかアーティストに入らないより、1000円払ってそれが全部アーティストに行くほうが、自分もアーティストもお互いハッピーだと思う。そして、お金を払うかどうかはまず聴いてみてから決めたいし、いくら払うのかについてもそうしたい。

で、実際のところ、技術が進歩するに従って、世の中はぼくの願うほうに向けて進み出している。なぜだかわかりますか? もちろん、それが先に挙げた「原初の音楽」に近づく方向だからです。制作・流通・管理その他もろもろの障壁がなくなって、音楽が本来のすがたを取り戻し始めている。それがいまの状況です。(ここで本当はまずWinnyの功績に触れるべきなのだけど事情により省いて) ニコニコ動画にupされる数々の「歌ってみた」「演奏してみた」動画と、それに対して付けられるコメントとの関係は、まさに音楽を成り立たせる最小限のものであり、「2人居さえすれば、それは成る」という、そのものです。


ニコニコ動画に「振り込めない詐欺」というタグがあるのをご存じでしょうか?


ぼくも、なんでこれにお金が払えないんだ!?という気持ちになったことはある。素晴らしい作品のクリエイターにどうにかして報いたいという想いは、みなが持っているものと信じる。残念ながらいまのニコニコのシステムはまだそこまで追いついていないけれど、「ニコニ広告」という、動画を勝手に応援することが可能なサービスも考案されています。そして「ニコニコ生放送」の開始。

 こうした「同期コミュニケーション」サービスについて、杉本氏はなかなかの手応えを感じているようだ。同氏によれば「生放送でいちばん盛り上がる瞬間というのは、映像のソース側が、視聴しているユーザー側のコメントに反応したときです。リアルタイムでは時間のずれがないので、コミュニティの質が高まります。やはり究極的には同期のコミュニケーションが求められていることを、生放送の提供を通じて再認識しています」という。

(強調は引用者による)


わかっていらっしゃるぜ、と思う。意識的か無意識的かは知らないけれど、間違いなく、そっちが正しい方向です。

それにひきかえなー。権利者会議? 補償金? 音楽に関係ないこういう人たちの発言に、最近のぼくはあまり怒りを感じなくなりました。なんだか、可哀想という気持ちが先に来てしまう。ぼくだったら、いずれ必ず負けると判っている戦いをたたかうのはやだなぁ。目先のおかねがほしいですなのですか? わからないけど。

そんなふうで、あんまり気に病むことはないよ、と言いたい。音楽が本来の姿を取り戻せる、ワクワクできるような時間が、もうすぐそこまで来ているのだから、と思います。