すべての夢のたび。

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自業自得

痛いニュース : 娘を強姦した男に母親が復讐。ガソリンをかけて焼き殺す


面白いニュースです。いや、道徳的にはともかく、皆の「語り」を引き出し、かつ、その「語り」によってその人の考えていることが見えてくるような、そんな意味で。長くなるけど引用。

2005年、スペインにて娘を強姦した男に対して母親が復讐するという事件が起こりました。ガソリンをかけられて焼かれた犯人の男は、その傷がもとで病院で死亡しました。

1998年、アントニオ・コスメ・ベラスコ・ソリアーノ(当時62歳)は、13歳の少女を刃物で脅して強姦しました。ソリアーノは逮捕され、懲役13年の判決を受けたのち、控訴して最終的な刑期は9年となりました。

そして7年後の2005年。3日間だけの外出許可を得たソリアーノは、故郷の町へと戻ります。町のバーへ向かう途中、ソリアーノは過去にレイプした娘の母親に出会いました。

「お嬢さんの具合はどうですか?」伝えられるところによれば、ソリアーノはこのように言って母親をなじったそうです。間もなくして、その母親もソリアーノの後を追ってバーに現れました。

そしてソリアーノに近づいたかと思うと、どこから持ってきたのか、手に持っていたビンの中のガソリンをソリアーノにかけ始めたのです。ソリアーノの足下にガソリンだまりが出来るほどの量だったそうです。

周りの客が止める暇もなく、母親は火をその中へ投げ入れました。ソリアーノの体はあっという間に炎に包まれ、あたりには絶叫が響き渡りました。母親はソリアーノが燃えているのを確認した後、店から逃げたそうです。

ソリアーノを包んでいた炎は消火器と水によって消し止められましたが、ソリアーノは全身の皮膚の60%を失う大火傷を負い、入院先の病院で11日後に苦しんで死んだそうです。

もちろんその後、母親は逮捕され裁判が行われましたが、彼女が初めて出廷した日、群衆は「よくやった!」と拍手喝采で母親を出迎えました。また、娘が強姦されて以来精神病を患っていたことが考慮され、罪には問われない可能性が高いそうです。


2005年のニュースなんですねこれ。もうとっくに、母親の有罪無罪も決してることでしょう。ちなみに元の記事から改変されている部分があります。どの時点で変えられたのかは未確認。

  • 「ソリアーノはこのように言って母親をなじった」
    • 元は、「ソリアーノは大声でこのように言って母親を挑発した」
  • 「娘が強姦されて以来精神病を患っていたことが考慮され」
    • 元は、「娘が強姦されて以来母親が精神病を患っていたこと、そしてソリアーノが母親を挑発したことが考慮され」


さて、ぼくはこのニュースをどう考えるか。

まず、母親のこの復讐は有りか?という点では、有りかなぁと思います。ぼくもたぶん、自分に娘がいたとして、その娘がどこかの誰かにとんでもなく酷い目に遭わされたら、実行可能かどうかは別にして“復讐”という言葉が一度は脳裏に浮かぶと思うんですよ。で、ぼくは娘はいませんし、ていうか子供とかいらねーと思ってるし、そして子を産む性じゃありません。というわけで、おそらくこの母親の娘に対する思いは、ぼくの想像できるレベルをずっと超えて深いんじゃないかと思います(いくらか変な幻想が入ってるかもしれませんが)。その上犯人まったく反省なし(どころか根に持ってるとか)。だから、アリかなー、とは思う。

その一方で、当然ですけど、裁判は普通に行われなくてはいけませんよね。母親のしたことは犯罪ですし、スペインは法治国家なので、汲むべき事情は汲むとしても、通常のルール内で裁判が行われなくてはいけない。で、その結果有罪になったなら「仕方ないね」で、無罪になったら、おめでとうとはやはり少し言いにくいので、むにゃむにゃむにゃ……という感じでしょうか。


そして強姦男のほうですが。まず強姦がナシだよな。その上で、被害者側を挑発とかいうのは、これはもう、「バカは死ななきゃ治らない」というより、バカなので死んだ、と。「死因:バカ」とか、そういうレベルではないかと思います。これも「仕方ないね」ということで。全身火傷で11日間も苦しんだ末に死亡というのは自業自得ですよね。


…って、ここまで書いて、あれ?「自業自得」ってなんだっけ?って思ったんですよ。そして話は急に変わります。

「自業自得」を大辞林第二版で引いてみると、

《仏》自分のおこないの結果を自分が受けること。一般には悪い報いを受けることにいう。「―だからやむを得まい」

とあります。ここで「《仏》」は、もちろん元がフランス語というわけではなく、仏教のことばであるという意味です。

自業自得って、誰もがなにげなく口にしてしまうし、その意味するところも理解していると思うんですが、仏教的な世界観を現した言葉のひとつです。その行いの結果が、自分に返ってくること。考えてみれば、それってぜんぜん普通じゃない事態です。

普通なら、自分がなにかやらかしても、その結果は「世」の中へと消えていくような気がする。たとえばクラクションの残響音が空気中に溶けて消えていくように、コップの水に落としたインクが拡がって見えなくなるように、行為の結果は時間が経つほど「世」の中に拡散して薄まっていくように思う。でも、「自業自得」は、これとはぜんぜん違うことを言っている。それは「世」の中を巡り巡った末、いつかはフォーカスを自分に合わせて還ってくることになるんだよ、と。まったく、非科学的です

でもそんな《仏》語を誰も彼もみななんの疑問もなく使っているということ。その言わんとする内容を信じているというよりももっとずっと深いレベルで、その世界観の中に生きているのだということが、今日のぼくの発見であり、1ポイントのゲットだったのですよ(誰からだ)。


ところでこの強姦男の病院のベッド上での最後の11日間、その頭の中はいったいどんなだったろうね?と想像するとゾクっと来るのですが。