すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ダイアログ・イン・ザ・ダーク体験記

行ってきた。

銀座線の外苑前で降りて青山通りを渋谷方面へ。ベルコモンズの角を右に曲がり、外苑西通り(キラー通り?)を千駄ヶ谷方面へ歩く。ワタリウム美術館を過ぎ、さらにワタリウムまでの距離と同じくらい歩くと、会場のレーサムビルがある。外苑前から徒歩8分と案内されているが、おそらくJR千駄ヶ谷から歩いても10分程度と思う。

ここか、と思って入ろうとすると関係者入口だった。その先の階段を下りると、開催を祝って届けられたスタンド花が大量に飾ってあった。ドアを開けて中にはいると落ち着いた照明のロビーにスタッフが3人ほど。みな黒っぽい格好。受付で参加する回と名前を言い、ロッカーに荷物を預ける。中で万一物を落とすと、その日のセッションが全て終わるまで回収はできないからだ。腕時計その他外れたり引っかけたりしそうなものもみな外す。

開始時間まで10分ほど、ロビーのソファーに座って待った。スタッフの女性の1人が近づいて来て、参加は初めてですか? どこで知りましたか?等、かんたんな質問をされ、よろしければ、と言ってハーブティ(多分カモミールと思うが詳しくない)を渡された。ちらほらと、同じ回のセッションに参加する人たちが集まり始める。前の回の人たちも出口から出てきたし、そろそろだろうと思った。そしてお呼びがかかる。

1回に参加できる人数はわずか8名だ。今回の構成は、カップル×3+ぼく+もう1人男。まぁ、そういうのもアリだろうさ、と思う。スタッフの人が来て、杖を選んでください、と言われる。視覚障害者の人が持っているような白い杖だ(多分、そのものではない)。あの白い杖を持てることがなんとなくうれしい。長さは数種類あり、みぞおちまでくらいの長さものを選ぶと良いです、と言われた。皆それぞれ自分の杖を選び、カーテンをくぐって、一段暗い場所へ移る。ここからはもう他の人の顔はほとんど見えない。

中で簡単に説明を受ける。杖の持ち方。端から握りこぶしひとつ分くらい下の位置を、鉛筆を持つように持つといいらしい。非常に軽いのでそういう持ち方で平気のようだ。開いた左手は前方を探るために使う、ただし手の甲を前にして。そのほうがねんざ等云々と言っていたが、無用なトラブルを避けるためではないのかなーと思った。続いてアテンドの女の人、つまり「ほんもの」の視覚障害者の方を紹介される。アテンドの人からまた簡単な説明があり、そして、声を覚えたいので一人ひとり順番に名前を言ってください、と言われた。カップルの1組は夫婦だった。ぼくの他のもう1人のソロ男性は、今回が初めての参加ではない、と言った。それから、さらにドアを開けて、いよいよ本当の暗闇のなかに入っていく。

そして、そこでなにが起きるのかは書きません。これからそこに行く人が得る経験を限定してしまうことになるので。「体験記」は嘘。

最後のカーテンをくぐり、ほんの少しだけ明かりのある場所に出た。椅子が用意されていて、皆そこに座り、感想を伝えあったり、アテンドの人に質問をしたりした。それからもう少し明るい場所でアンケートを記入し、カーテンをくぐってまたロビーに出て、受付にアンケートを渡した。そしてロッカーから荷物を出してレーサムビルを出た。セッションはだいたい90分弱、うち暗闇内が60分強だと思う。ちなみに回によっていくらか価格は違うようだが、今回は4000円だった。平日は安いらしい。


中で感じたことを書こうと思う。内部は、真の暗闇だ。一片の光もない。目を開けても閉じても何の変化もない。そういう場所を、杖の先と足裏の感触、聞こえてくる音だけを頼りに歩くのは、ほんとうに心許ないことだ。ぼくがもし視力を失ったら、街中で見かける視覚障害者の人たちのように歩けるようになるには、いったいどれだけの努力と時間が必要なのだろうと思った。

ぼくの目は、なぜか暗闇の中で光のようなものを感じていた。何かが見えるわけではもちろんないのだが。入力がなくなってノイズが増幅されているのだろうか、よく解らない。目を閉じた上から軽くまぶたを押した時のような変なまぶしさがずっとあった。あったのだが、それはやがて気にならなくなった。何も見えないと明るいとか暗いとかはどうでもよくなってしまうようだった。

そしてぼくは、中では最初から最後まで目を開けていた。何も見えはしないのだけど、怖さから光を求めてしまい、目を閉じていられないのだ。そのことが逆に、空間把握を狂わせていたように思う。健常者は空間把握の8割を視覚に頼り、残り2割程度を聴覚に頼る、と聞いたことがある。ぼくはその8割を全開にしてひたすら「まっくら」という情報を脳に流し込んでいたのだろう。その回路を閉じ、耳をすまして周りの状況をイメージするように心がけたほうが、おそらく良かったのではないだろうか。


有意義だった。行って良かったかと問われれば、おおきくYESだ。しかし、もう1回行くか?と問われたら、すこし考える。あそこには、それほど多くのものはない。遊園地のように、まだ乗ってないアトラクションがあるから、というふうにはならない。新たな体験を得るには、ぼくのほうが変わる必要があるだろう。たとえば、次回はずっと目を閉じてみる、というのがそれだ。もうひとつ可能性として、アテンドの人を選ぶことができたら、行くかもしれない。今回の人の案内に不満があったわけでは全然無い。彼女の障害について質問したのだが、後天的なものだとのことだったからだ。先天的な視覚障害の人であれば、案内の仕方がおそらくなにか変わるだろう。そこに純粋に興味がある。「指名」は可能なのか問い合わせてみようと思う。


あとはご参考までに、ぼくの過去の「目を閉じた」経験を記す。だいぶ前、自己啓発セミナーに行ったときのこと。最終段階近辺で、代々木公園の中を目を閉じて歩く、というセッションがあった。2人1組で、1人が目を閉じ、1人が案内役となり、案内役が目を閉じた方の手を取って公園内をあちこち歩き、立ち止まる。目を閉じた方は、自分の前にあるその何かに目を閉じたまま触れ、感じてみる。その間無言。そんなセッションだ。ぼくのパートナーはとても優しい感じの女の子だったが、だったのだが、公園内を引きずり回された。いや、おそらく彼女は普通に歩いていただけなのだ。しかし、目を閉じたまま健常者の速度で歩くというのは非常に不安を感じるものなのだった。足下も土ででこぼこだし、頼りになるのは軽く握った彼女の手だけだ。大きな木に触れたり、ベンチに触れたり、などということを繰り返し、ほんのいくらか歩くのにも慣れただろうか、と思ったとき、ある木の正面にまともに突っ込んで額を思い切り幹に打ち付けた。屈み込むぼくと謝りつつ笑う彼女。ぼくは、もし目が見えなくなったのなら、たとえ頼りになるかどうかはわからなくとも、頼りにならなくとも、その人にすがるほかもう道はないのだ、ということをそこで悟った。

もうひとつの目を閉じた経験は、アイソレーションタンク。こちらはリンクを貼っておきます。昔のエントリなので口調がかなりあれだ。