すべての夢のたび。

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このエントリは嘘だ

昨日書いたエントリ「言語の本質ってなんだろう」ですが、ヒントになったのは自己言及文「この文は嘘だ」です。tokyocatさんが「言語の本質は再帰性より否定形や疑問形を作れることではないか」と書かれていたので、すぐ「この文は嘘だ」が浮かびました。このわずか数文字の短い文は、なんと「再帰」も「否定」も含んでいるのです。まさにこれこそ、言語のエッセンスとも言える文章ではないでしょうか。

でもこれ、一般的には矛盾って言われていますよね。この文は嘘だ。嘘だというのが嘘なのか。じゃあ実は本当なのか。するってーと嘘だというのは本当なのか。ということはやっぱり嘘なのか以下ループ。こういうパラドックスを引き起こす文は、論理学では「取り扱えないもの」とされています。

ところが、それはちがうぜ、と言った人がいるんですね。F.デヴィッド・ピートって人なんですが。

論理学では、与えられた式をいろんな規則を適用してごにゃごにゃと変形して簡単な式にしたりします。ここで、最初の式と最後の式は、同じもの、ですよね。最初から最後までの変形で、中間が何ステップあろうが、同じもの。ここではなにも起きてはいない。変形した、と言いつつ、それは無時間的に行われているわけです。要するに論理学の時間は静止しているのです。

で、ピートさんは、ここに時間の概念を持ち込もうとした。時間を駆動するのは先ほどの自己言及文です。つまり、あの文章の真偽が、真から偽へ、偽から真へと移り変わる。その1回の反転を1TICKとして、論理学に時間概念を取り入れることにより、「この文は嘘だ」もその世界の中では何の矛盾もなく取り扱えるのではないか?

……というような提言をピートさんがされてからもう結構な年月が経っています。ぼくは寡聞にして知りませんが、世界のどこかでそういった論理学?が花開いてたり、しないんですかね。どなたかご存じでしたら教えてくださいませ。脳の中のニューロンには他からの入力がなくても自律的に活動を続けるものがあると聞いていますが実はこれも軸索を追っていくとそのへんでループになってたりすると面白いですね。