すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

言語とその本質もにょもにょ〜

遅レス。しかも、特に考察においての前進はないです。

Log of ROYGB : 子子子子子子子子子子子子

ROYGBさんは「言語の本質というのは、その伝える意味にあるのではないか」と仰います。これを読んで、ぼくは、その意味ってやつは、ぼくの言うところの「【について】」と同じかなーと思いました。

「【について】」ってなんだよ、っていうと、「指し示すこと」です。ぼくは言語とは指し示すものだと考えているようです。ぼくが、人差し指を伸ばし、中指薬指小指を軽く曲げ、親指をそこに添え、腕を伸ばす。そのとき、ぼくを見るヒトはぼくの人差し指の延長線上にある何物かを見ます。しかし、おサルは、ぼくの指を見ます。おサルは言語がわかってない。そんなかんじ。

「リンゴ」という言葉は、現実世界に実際に存在する特定の果物を指し示しています。それだけでなく、各種リンゴ全般や、腐ったリンゴや、絵の中のリンゴ、空想上のリンゴなどについてもなんとなく指し示す。さらに、椎名〜や、単に赤くて丸いモノや、「ハッとするニュートン」なども、ゆるやかに指し示すのではと思います。この「指し示し度」の違いが「意味の強さ」みたいなものじゃないかなーと。「意味がある」と人がいう時には、その言葉が何かを指し示しているからこそその意味がわかるわけで、つまり「意味」と「【について】」は同じようなことかと。完全ランダムな文字列の組み合わせの言葉があったらそれは何物も指し示さないから意味がわからないですよね。

(でも、脱線、「ブーバ・キキ問題」というのが「すごい本」に載ってました。「ブーバ」という言葉と「キキ」という言葉があるとき、ぼくらは、なぜか、どちらが「雲のようにふわふわした言葉」で、どちらが「ウニのようにトゲトゲした言葉」か、わかるのです。どこの国の誰でも、「ブーバ」「キキ」という言葉を耳にすると、なんとなくわかる。たとえまるで意味のないような言葉であっても、ほんとにぼんやりとは、何かを指し示してしまうのでしょう)

つまりぼくは、「意味」は言語の機能であり、本質とは考えていないということです。すみません。どーちがうんだーと言われると説明はなんだか難しい。しかし、例えば「三角形の本質は辺が3本あることだ」と言われたら、なんだか違う気がしませんか。これは冗談ですが、三角形の本質とは「少なくとも尖った角が2つある(ので刺されると痛そう)」とか、そんなふうに、そのモノの有様から必然的に導き出される何かのことではないでしょうか。

一本足の蛸 : 本質とそうでないものをどうやって見分ければいいのだろう?

結局、「なんとなく」なのかなーという気がします。言語の本質。本質という言葉のその意味。ぼくらは「××こそが○○の本質だ」というような言い回しに何度も当たることで、なるほどそうかと学んでいく。結局は場数、パターン認識の積み重ねで、人はなんとなく「本質とは何か」を掴むんじゃないでしょうか。「CLANNADは人生」って、CLANNADの「本質」は人生、CLANNADという作品の本質は人生とはこのようなものだよねという語りにある、ってことですよね。多くの人がその「本質」になるほどそうねと同意しているので、この言葉が広まっているのではないかと思います。かんなぎは中古とかはどうかと思いますが。