すべての夢のたび。

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誰が中国人に「日本人の許し方」を教えるの?

こっそり南京アンケート」ですが、いちばん最初のid:tukinohaさん(はじめまして)のコメントが面白かったので取り上げてみます。コメント欄が妙に盛り上がってますし、長くなるのでこっちに書きます。

投票したわけじゃありませんが「あった派」のtukinohaです。はじめまして。

>「気持ちとしてはなかったのなら良かったのになぁとは思います。自分の住んでる国が昔やったらしいよくないことの話だし、死んだ人の数なんて少ない方がいいに決まってる」

この辺についての認識が決定的にずれていると思うのですが、過去にさかのぼって日本が正しくないと、今の日本が正しいと思えないわけですか?
人だって国だって、間違えることはあるでしょう。そのときは謝って、失敗に学んでやり直せばいいだけの話。そして「あのときは間違えたけど、今は俺が正しい」と言えばいい。「正しさ」を主張するために必要なのは無謬性ではなく、存在の絶対性であり、他者との競争を通して自らの「正しさ」を実現しようとする意志の強さです。「絶対の正しさ」なんてものは存在しないのですから、そもそも無謬性を問うこと自体が無駄です


読んで、「???」でした。tukinohaさんは、ぼくについて「否定論者はこういった思想を持っているはず」というモデルを勝手に設定して、それに対して「自分の思想」を語ってらっしゃるようです。「過去にさかのぼって日本が正しくないと、今の日本が正しいと思えない」のは、tukinohaさんご自身のことなんじゃないか。どうもぼくにはそういうふうに感じられます(文中やけに「正しい」「正しさ」って出てくるし)。

人だって国だって、間違えることはあるでしょう。そのときは謝って、失敗に学んでやり直せばいいだけの話。そして「あのときは間違えたけど、今は俺が正しい」と言えばいい。


問題は、ぼくは南京で間違えてはいないことです。ぼくはそこに、いませんでした。「あの時は間違えた」もなにもありません。そのことを謝れと言われてもなぁ、って思うのです。日本はあった、中国もあった。でもぼくはいなかった。日本という国、日本政府が南京事件について中国政府に謝罪するというのなら、ぼくは勝手にすればいいと思います。「どうでもいい」です。賠償金も億でも兆でも払えばいいでしょう。

けれどもぼくは、南京事件について、きちんと心から謝罪することはできません。当たり前ですが、「当時の南京で起きたことそのもの」については、どう見てもぼく個人が悪いのではないからです。かたちだけ、謝ることはできますよ。しかし、("中国"ではなく)中国"人"が日本"人"に求めている謝罪って、そんなものなのでしょうか。それとも、tukinohaさんは「責任はあるし、それを感じられるようになれ」ってぼくに言うのですか?

そして、tukinohaさんは、同じことを中国人にも言えるのですか? つまりこうです。

人だって国だって、間違えることはあるでしょう。謝られたのなら許してやって、過去は水に流してやり直せばいいだけの話。


どうなのかなぁ、むこうの人。こう言えば、許して水に流してくれるんですかね??

先にぼくは、「ぼくは南京で間違えてはいない」と言いました。同じ事は中国人にも言えます。「南京事件について日本人は謝罪をするべき」と考えている中国人の大半は、南京事件そのものからは直接にも間接にも被害を受けてはいないのではないかと思います。つまりここには、「直接の加害者でもない人間」が「直接の被害者でもない人間」に「謝れ」と要求されているという、既にもう喜劇か悲劇かもわからないそういうねじくれた構造があるわけです。

被害者は事件で死んでいるのでもうこの世にはいません。加害者も今となってはほとんど死んでいることでしょう。それで、「直接の被害者でもない人間」が「直接の加害者でもない人間」に謝られて、いったい、何を許すのですか? というより、そもそも「直接の被害者でもない人間」が死者になりかわって許す権利など持っているのですか? しかも謝罪する側も、謝るべきものを持っていない人間です。

国のレベルでは、適当にやって決着させればよろしかろう、と考えます。けれども、日本政府が中国政府に正式に謝罪したところで、中国人は日本人を許さないだろうな、とぼくは思います。ただただ「日本人は悪い」と教え込まれてきた彼らは、謝られたときに、何を許せば、許したことになり、許した気分になるのか、きっとそれがわからないことでしょう。さらによくないことに、ここには「ほんとうに謝られるべきで、許されるべきもの」もはじめからないわけです(誤解を招かないために言いますが、国のレベルでは、それはあります)。

なので、ぼくは、謝れもしないものについて、ずーっと「謝れ謝れー」と言われ続ける、それがもやもやして嫌なので、「なかったらよかったのになー」と思うのです。で、個人でどうこうできる話でもないので、「どうでもいい」と思っているのです。だいたいそんなところです。