すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

いささかマシな死に様

自殺をしよう、と思ってるのですが(すぐにではないので通報しないでください)。

いずれそのうち死のうと思ってるんですけど。首吊りで。でも、自宅(アパート)でやると大家さんとか同じアパートの人近所の人に迷惑だろうし(気を遣うのです)、となると、多少のリスクはあるかもしれないけど外でやるしかないかなーと思ってます。見つからないように真夜中に。場所は、どうなんでしょうね?

まぁ首吊りだよなー、とか思っているのですが、海外へふらっと行って、そのまま現地で行方不明になる、というのも良いのかなー、と最近少し思いました。というのは、ぼくは両親が存命で、ぼくが先に死んだら悲しむだろうなーと思われるからです。だから、「死」より「行方不明」のほうがいいのかなーと。したら、どこかで生きてるのかもしれない、と希望を持つでしょうからね(気を遣うのです、というか、そのへんの心配をしてしまう自分自身を納得させる必要がある)。実際そんなことが可能な「海外」があるのかどうかはよくわからないのですが。未開な国行けばいいのかなーとかすごく偏見持ち。

選ばせてくれるならば、ぼくのいま考える理想的な死に方は、臓器移植法改正案のニュースでちょっと思ったのですけど、「全身麻酔→移植で提供可能なパーツ全部持ってかれる→そのまま死亡」かなーと思います。ねー、入社以来毎年の健康診断で全項目Aなのに、首吊りとかで無駄に腐らすのはもったいないというか、そういう方法でも誰かの役に立てればいいと思います。ふつうにぼくが生きているよりずっと社会に貢献できる。どうでしょうか!?とか書くと、「ブログに書かれていた件についてお話したいのですが……」とかどこからともなく匿名のメールが来たりしないかな。マンガの読み過ぎか。東南アジアのどっかでそんなことやってたりしないのか。某邦画の影響受け過ぎですか。

こういうことをうまく禁ずる倫理はない気がするのですが、どうでしょうか。本人が、あげたいって言ってるんだから、別にいーじゃん?と思うのです。結局いつもの「人は自ら死んではならぬ」くらいしかないんだろうなぁ。思い出したけど、今の移植法で15歳以上の臓器提供意思が有効とされているのは、遺言は15歳から有効という民法に準じているからだそうです。でもそれって、カラダは自分の財産ゆえ自由に処分できるってイミであって、だったら結果的に自殺をも認めることになりはしないのか?と思う。

日本が、というか人類の一部が豊かになって、もう一生懸命生きなくても死なない、というレベルに到達したあたりで、死んではならない、って倫理は無効になったんじゃないのかなー、という気がします。規則だから無効もなにもないのかな。ただ「守れ」であって。でもまぁ、死んだ人間を後から罰することもできないし、それに、「死ぬな」と命令しつつも「生きなくてもいいよ」という暗黙のメッセージも恒常的に送られてくる。「お前の代わりはいるよ」とも言われる。目的も物語も与えられない、という、なかなか大変な時代にみなさん生きてらっしゃるんじゃないですかねーと思います。

まぁぼくはそのへんあまり関係ないっぽいですけど。いずれ勝手に死ぬ予定。おかしい、って言われても、なぜおかしいのかと聞くと、まともな人は死のうとか考えない、とか言われて、それってトートロジーじゃんよと思うわけです。おかしい気はしない。腐らすのはほんともったいないなーとは思いますけれど。