すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

どうせいつか死ぬのに、なんでいま死んじゃいけないんだっけ?

タイトルはパクリです。

先に書いた「いささかマシな死に様」にいただいたブクマコメントより。

k-5t 興味本位で聞くんだけど、なぜ死にたいんだ?前に「仕事に不満はない」とか書いてなかった?つーか、おれも死にたくてしょうがないわけだが。他の人間の死にたい理由って興味あるんだ。


おそらくなんの参考にもならないでしょうけど、ちょっと書いてみます。


ぼくが「自分とは何か?」みたいなテツガクっぽい問いに取り付かれたのは、多分中学校ぐらいのころだと思います。まぁ学生じゃ本を読んで考え事をするくらいしかできないんですけど、社会人になるといろいろ自由になるので、あれこれやってみたわけです。教会に行ったり、他の新興宗教に通ったり、自己啓発セミナーに行ったりインド行ったり。占星術を習ってみたりニューエイジっぽい集まりに行ったり。運動(スポーツじゃないやつ)をしてみたり。最近はあまりしてないですけどね。

自分とは何か?みたいなことを考えるとき、当然、生とは何か? 人はなんのために生きるのか? そして、死とは何か?みたいなことも、関連のテーマとして出てきます。特に、死の問題は大きい。前に匿名ダイアリーでもありましたが(というか普遍的な問いですが)、どうせ死んでしまうのに××していったい何になるの?みたいなことも、誰だって考えると思う。

キリスト教では死についてこう言ってる。仏教ではこう。科学はこう言う。ある哲学者はこう言った。チャネリングされた宇宙人はこう。おばあちゃんはこう。インディアンはこう言ってた。アフリカの○○○族ではこんなふう。みたいに、みんなてんで言うことはバラバラです。ぼくはそういういろいろを総合して、考えに考え続けました。そして数年前にやっと解ったことは「死については、自分で死んでみないことにはなにも解らない」ということです。

そしてそれ以来、ぼくには「自分の死」は、「いずれ必ず来る楽しみなイベント」になったわけです。長い間考え続けて、死とは多分こんなものだろうな、というイメージがぼくにはできています。それがほんとうに当たっているのかどうか、やっと確認できる機会、というわけです。もちろん「死」が「死んだら無になる」であった場合、なにも確認できずに終わりですけどね。でも、ぼく的にはいまのところ、死んでもなんらかの形で自分というものは在るのじゃないか?という気持ちが8割くらいです(ここをうまくことばにして人に説明できたら、ぼくの役目は終わる気がする)。のこり2割は無。無でも一向に構わないとは思っています。


それはそれ。で、なんで自殺なん?というと、また別の話になります。


ふつうに健康で長寿を全うして死ねたら、理想ですよね。でもいまの世の中、そういうのって少ないんじゃないかと思います。たいていなんかの病気で死ぬ。病気になったから死ぬのか、生き長らえた結果病気に罹るのかは知りませんが。で、ぼくは、この先もずっと独りで暮らすつもりなんですけど、年を取った時用の蓄えとかはぜんぜんないわけです。する気もないし。いまの国の状況じゃ年金とかも当てにできるわけもないし。それで平気なの?っていうと、平気なわけです。いざダメになったら死ぬつもりだからです。

働ける間は働いて、働いても食えなくなったら死のう、というのがぼくの考えです。特にぼくは、将来何々をしたいとか、してやるぜとか、何者になってやるとか、そういうのがないので。誰かや何かにすがるつもりもない。で、良い老後を送るためにいま頑張る、というつもりもまったくない。一日一日が楽しければそれでいい、という考えです。ちゃんと計画を立てて頑張ってる人たちを否定する気は全然ありませんが。

そして現にぼくの一日一日は楽しいのです。まぁ平日の仕事中はそうでもないかもしれないけど(笑)。毎週末に神保町に行って好きな本を買い、夜にそれを読みながらお酒を飲む、と。だいたいその程度で満たされています。そう思うようになったのは最近ですけどね。でもぼくにはもう、充分に生きた、この人生は楽しかった、という気持ちが、既に実感としてあるのです。生まれてこれてほんと良かったなー、なかなか面白かったよ、という、このへんが、既に過去形で語れるのです。すごく感謝したい気持ちがある。そして、そのあと(続いてるいま)は、オマケのようなものです。くれるんならもらっとくけど、なくなったら終わりでいいや、という感じです。

頑張って生きる気もないし、立派なお墓を建てるために生きたいとも思いません。そして仕事にも人生にも不満はないですが、それをずっと続けたいかというのは別な話なんじゃないかとぼくは思います。幸福な人生というのはどこで切っても幸福なのです(金太郎アメのように)。


とは言えど、ぼくも時々は、なんかいろいろ嫌になったなぁ、と思うことはあります。そういう時は、もとからある「自分の死を経験するのが楽しみ」という思いと相まって、ぐん、と気持ちが傾くことになります。それを"ここ"につなぎとめてるのは、この漫画の山どうすんだ?とか、仕事の引継ぎは?とか、その程度の理由なんですけど、死にたい理由もこの程度なんで、まぁバランスが取れてる気もします。