すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

「なんで朝起きると"目の醒めるような美少女"になってないんだっけ?」問題

気になる人は気になるけど、気にならない人は全然ならない、「自分とはいったい何か?」というテツガクの問いについて。

それなりの数の人は、子供の頃にでも、なんで自分は自分なんだろう?というような疑問を持ったことがあるんじゃないかなぁ、と想像します(ぼくとかはまだ引きずってますが)。この疑問をもう少しきちんと書くと、なんで、世の中にはこんなにたくさんの人がいるのに、たまたまそのひとつ(たとえば"みちアキ")が自分なんだろう? あの人でもあの人でもあの有名人でもなく、○○○○(自分の名前)なのか。どうしてこの特定の体の内側から世界を覗き見ることになってしまっているのか? 他の体であってもよかったはずなのに?というようなことなんじゃないかなと思います。

この問いについてぼくは、まだ直感の段階ですけど、問いの立て方がたぶんマズってるんじゃないか、という気が最近してきています。「なぜ自分はみちアキなのか?」ではなくて、「みちアキの体に生じたものであるからこそ自分になるのだ」というのが正解ではないかと思えてきました。そして、この話には、人の記憶というものが関わってきます。記憶こそが、確固とした「自分というもの」が存在するという(誤った)信念の拠り所になっているのです。

ここでエントリタイトルの、ラノベとか漫画とか20世紀文学とかでよくありそうな状況の話をします。仮に、どこにでもいるさえないオタク男子が、朝起きたら超絶美少女になっているようなことがあるとしたら、どういう条件が必要とされるのか?

まず、オタク男子の中から世界を見ている"自分"が、とある朝より、作者か神かの計らいで?美少女の中から世界を見ることになった、とします。どうなるか? たぶん、これっぽっちもワクワクするようなイベントは起きません。なぜなら、美少女の中に入った"自分"は、それまでの彼女の記憶を利用して、というか記憶に従って、何事もなかったように昨日までの延長線の(おそらくオタク男子よりは素敵な)生活をその朝以降も送るだろうからです。ただ視点が移動するだけでは足りないのです。移動した、と気付くためには少なくとも、移動したというイベント発生の記憶が必要になるのです。

では、オタク男子であった自分が美少女の中にある朝移動し、移動した記憶もある、とした場合はどうでしょうか。おそらく彼女は朝起きて、「超絶美少女であるはずの自分なのに、なぜか昨日はオタク男子だったような記憶がある。変な夢でも見たのだろうか?」と考えることでしょう。これは記憶量の問題です。朝起きて、「生まれてからずっと美少女として暮らしてきた」という記憶と「どうもオタク男子だった気がする」という程度の記憶がぶつかったら、とうぜん前者が勝ってしまう。"自分"という存在を維持し支え続けるためには、相当量の記憶が必要とされるのです。

それなら、もっとオタク男子側の記憶を増やしたらどうなるでしょうか? 例えば五分五分になったら? 五分五分であれば、自分の体を眺めた結果、どうしてか自分は美少女なのにオタク男子の過去生?もあるようだ、と"彼女"は結論づけるでしょうね(それはそれで使える設定かも知れませんが)。結局、「オタク男子であった自分がある朝美少女に!」という場合、"自分"が移動するだけでは足らず、"自分の記憶"も同時に移動する必要がある、とわかります。

つまり攻殻的に考えて、ゴーストには記憶がひっついてくることが必須なのです。裸のゴーストが体から体へ、体から電脳空間へ移動するなんてことは、ありえない。

それこそありがちなラノベ的設定、完全に"ぼく"が"彼女の体"に、という場合であれば、「ある朝」以前の彼女の記憶など全く必要とされないでしょう。でも攻殻ならぬこの世界では、記憶というものは脳内のシナプスの結合に他ならないわけで、つまりそういうことを起こそうと思ったら、眠ってる間に脳を移植するしか手はありません。

そんなふうなわけで、誠に残念なのですが、朝起きると美少女になっていたりはしないわけです。朝目が醒めるたびにこの体のなかに新たに立ち上がってくるソレは、昨日までと同じ自分でしかありえない。もちろん出会い頭の衝突で中身が入れ替わることも起きるはずがない。申し訳ございませんという感じです。

冒頭の、問いの立て方がマズいんじゃないか?という意味のほんの少しでも、伝えることができているでしょうか? そして、この問いが気になる人とならない人がいる、というそのわけも、ただただ互いにそういう体に生まれついているだけだから、ということになるわけですw