すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

たわごと2

また仕事中に考え事が進んだのですが。いろいろやばい。「自分とはなにか?」について。ここで言う自分とは自我とか自己意識とか大ざっぱにまぁそんなようなものです。

  • "自分"は、目を覚ましている間ずっと"存在"しているわけではない。
  • じゃあいつ"存在"しているのかというと、言葉を使って思考している間、だけである。
  • そんな馬鹿な、ずっと存在しているに決まってるじゃんよ、というのはただの錯覚である。
  • そう感じる場合、記憶に嘘をつかれている。
  • ずっと存在していた、という信念を支えるのは、「ずっと存在していた」という記憶でしかない。
  • 「ずっと存在していた」という記憶は、「ずっと存在していた」という言葉である。
  • ではその、"自分"が"存在"していなかった間はなにが"存在"していたのか、というと、体がオートパイロットで事を為していただけである。
  • オートパイロットで済む間は、"自分"は"存在"する必要がない。("存在"することもできる。それは例えば仕事中に考え事をする等、体と頭が別のことをしている状態である)
  • 思考とは自己との対話であり、意識が自己参照のループを形成している状態である。このループが存在している間に限り、"自分"が"存在"している、と言える。

こんなところですか? 適当に書いたのでもっと綺麗にまとめたいですね。

最近読んだどの本に書いてあったのか忘れたけど(ロボットのやつかな)、そもそも、自己意識、なんてものは、オマケに過ぎないわけです。生物は、ものすごい簡単なバクテリアみたいなのから徐々に徐々に何億年も掛けて人間まで進化してきたわけです。自己意識の獲得はその課程の一番最後のプロセスであり、そこに至るまでの間、生物は自己意識なんてものなしにシステム(=体)を制御してきたのです。最後の最後で付け加わったポッと出の機能が、それまでのシステムを乗っ取ってうまくやっていると考えることには無理があり、システムのほとんどの部分は未だに旧い制御機能に従って動いているとするのが妥当ですよね。

ではそんな"自分"なんてものがどうして生物には必要になったんだっけ?というのが、次に考えることかな。もっともその答えはとっくに誰かが見つけているはずなんですが(ぼくが考えつく程度のことなどとっくに誰かが考えている)、自分で道を探して辿るのが楽しいのですよ。