すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

あまり知られていない生き方

東京永久観光 : 希有な人


tokyocatさんによる、非常に読み応えのあるエントリ。ある哲学者の、自死を選択し実行に至るまでの心境ほかを綴った本の紹介なのですが、死について関心がある人は興味深く読めるんじゃないかと思います(そして、この本をも)。エントリの最後でリンクしていただいてるので、なんか応答せねばなーと思いつつ日が経ってしまった。ので、とりあえず紹介だけでも。なんで書けないんだろ?と思ったけど、多分こちらのエントリがとても力の入ったものになっているので、それに見合ったものを返さねば、というプレッシャーが働いていたんじゃないかと思います。

この本は興味あるんですけど買ってません。共鳴してしまうとなんかマズいのではないかという気がして。

ぼくは死についてずっと考え続けてきたし、いまも考えています。そして、簡単にはブレないそれなりのイメージ・考えを持つことができている。しかし、それを人に伝えようとするのはなかなか難しいと感じています。深い深い森をやみくもに歩き回り、やっと抜けることができた。そこはあかるく、そこから見える景色は確かに素晴らしい。しかしとても、孤独である。引き返そうにも、誰かを呼ぼうにも、どうやって来たかという道筋をほとんど覚えてないんですね。メモでもしてれば良かったんですが、この性格だからなぁ。途中途中に印象的な目印はあったものの。

それに実は伝えることにもあまり関心がないんだろうなぁと思う。どんな人だってほんとうは、自分のやりかたで、自分が正しいと思う道を進んでいるのだし、そこに真の意味で優劣はまったくない。他人について、誤っている、正しい方へ導かなくては/導ける、と考えている人は傲慢だ(ただし/しかし、それもまた道だ)。いわゆる宗教家こそがもっとも巨大なエゴを満たすために動いているのではないか(それが悪いとは言わない)。ただぼくは、そういうことをちゃんと知ってる自分偉い、というわけじゃないですが。ぼくも、言うこと聞いてくれる人1人2人に自分の考えを話して付いてきてもらえたら、すごくうれしいと思う。ちょっと興味はあるし、そしてエゴは満たされると思う。でもよく考えるとそれはすごく面倒そうで、そっちの気持ちのほうが勝ってしまいますね。

ぼくは多分伝えるより先に死んでしまうだろうな。まぁこういうだらけた文章を読んでるよりtokyocatさんのエントリ読んだ方がよいです。死は怖ろしいものでもなんでもない。