すべての夢のたび。

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まだ自由意志は存在すると思いますか?

昨日、「自由意志は存在すると思いますか?」というアンケートをやってみました。結果はこんなです。


自由意思は存在すると思いますか?

自由意思は存在すると思いますか?
すると思う 193
しないと思う 75
その他 32


回答者の内訳を見るとちょっと面白かったです。「しないと思う」割合は、男性より女性のほうが多く、また年齢が若いほど多くなる傾向が伺えます。俗っぽい見方をするなら、そういう人たちのほうが生きる上でより不自由さを感じているのかもしれません。逆に年を経た男性は、自分の力で世を渡ってきたんだぜーみたいな。「その他」の人がどういう答えを持っていたのかも気になりますね。誰もコメントを書いてはくれませんでしたけれど(笑)。


さて。自由意志についてなんか書こうと思ってとりあえずウィキペディアを見たのですけど、凄い充実度でびっくりし、もうちょっとこの辺ちゃんと読んでから考えようと思いました。

「自由意志の原理は、宗教的、倫理的そして科学的原理の絡み合いから成っている」とのことです。とりあえず科学的原理だけを考えればいいかな。倫理的原理ってのは、もし自由意志がないんなら殺人した奴がいてもそいつを責められないじゃん、みたいな話ですが、でもそこから逆に自由意志の存在が導かれたりはしないわけだし。宗教的原理ってのは、つまりぼくが創造主でなんか生き物を創ることにした場合、その生き物が最初からぼくを褒めるように創るんじゃ別に面白くもなんともないわけです。それらが自分の意志を持っていて、その上でぼくの偉大さに気がついて褒める、というのがいい感じなわけです。そういう話です。


こんな図がありました(パブリックドメインとのことだったので貼ります)。



自由意志に関しては大ざっぱには3つの立場がある、という図です。決定論の是非と自由意志の是非を組み合わせたら4つの立場が出てきそうなんですが、なぜか3つです(この部分、ウィキペディアの説明と図に若干の食い違いが見られる気がします)。

で、ぼくの立場はこの図に出てきません。決定論も自由意志も共に認めない、「世界は非決定的だが、自由意志はない」という感じ。「ない」と言い切っちゃうのは実は嘘で「あんまりない」くらいの感じですが。でもそれって、別にふつうにあることじゃないかなーと思うんですけどね。サイコロは振られるまで何の目が出るか決まってないし、かつ、思い通りの目が出せる訳じゃないですよね。そして、そんなことを考えていたら、ぼくの立場を調子よく説明できそうな実験が、この項の最後に紹介されていました。

後に Dr. Alvaro Pascual-Leone によって行われた関連実験では、動かす手をランダムに選ばせた。ここでは、磁場を用いて脳の異なる半球を刺激することによって被験者のどちらかの手に強く影響を及ぼしうることを発見した。例えば、標準的に右利きの人は実験期間の60%の間右手を動かすことを選ぶ、しかし右脳が刺激されている間、実験期間の 80%の間左手を選んだとされる(右脳は体の左半分を、左脳は左半球を統括していることが想起される)。

この場合、動かした手の選択へ外的影響(磁場を用いた脳に対する刺激)が加えられていたにもかかわらず、被験者は「手の選択が(外的影響とは独立に)自由になされたことを確信している」と報告している。


「適当に左右どっちかの手を動かしてくださーい」と言いつつ被験者の右脳をこっそり刺激したら、右脳に繫がってる左手ばっかりを動かして、なのに、そんなことされてるとは気付かず自分の意志で動かしているつもりになっていた、という話です。ね、直感的に、これはヤバいなと感じませんか? 実際には自由意志なんてものはないのだとしても、それをあるのだと感じられる能力が、人には初めから備わってしまっている、というわけです。