すべての夢のたび。

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自由意志論を天動説として捉える

先に書いた「まだ自由意志は存在すると思いますか?」というエントリへのid:REVさんのブコメ。

REV 境界例や特異例を指摘することで中心概念の存在を否定する話じゃないかと推定。


んやー。実はそうでもないのですよ。脳や意識の研究に携わる、つまりこの辺の話で一番先を行っている人たちの間では、「意識というのは今まで考えられていたよりもずっと受動的なものだ」というのは、共通の認識になりつつあるようです。「「意識」を語る」によると、サミュエル・ジョンソンという人の言葉が、この状況をうまく表現しているようです。曰く、「すべての理論が意志の自由性を否定している。すべての体験がこれを支持しているのに」


以前、「単純な脳、複雑な「私」」という本を紹介しました。

すごい本を読んだ - 「で、みちアキはどうするの?」

実はこちらの本も、その大半が「僕らは自分で思っているほどの自由を持っていない」ということを語るために費やされています。ので、自由意志がないとはどういうことなのか?をまとめた部分を、少し長くなりますが引用してみます。281Pより。この部分は、ベンジャミン・リベットの有名な実験、「脳は、体を動かそうと意図するより先に、体を動かす準備を始めている」というあれを踏まえた話になっています。

3-52 僕らにある「自由」は、自由意志ではなく自由否定だ

 今すごくいいことを言ってくれた。僕はあえて大事なことを言わずにここまで来た。行動したいという「欲求」よりも0.5秒くらい前には、行動の「準備」は始まっているね。でも、その一方で、実際に「準備」から「行動」までは、その0.5秒よりももっと時間がかかる。1.0秒とか1.5秒とか。
 ということは、どういうことか。「行動したくなる」よりも、「行動する」ことの方が必ず遅いってことだ。時間的には、まず欲求が生まれてから、行動をする。この時間差は長ければ1秒近くになる。
 この期間が重要で、おそらく「執行猶予」の時間に相当するのではないかと言われている。うーん、執行猶予ってちょっと語感が悪いな(笑)。いま、まさに君が言ってくれたように、その行動をしないことにすることが可能な時間という意味ね。その時間内に、行動を起こすのをやめることができる。
 手首を動かしたくなったとき、たしかに、その意図が生まれた経緯には自由はない。動かしたくなるのは自動的だ。でも、「あえて、今回は動かさない」という拒否権は、まだ僕らには残っている。
 この構図は決して「自由意志」ではないよね。自由意志と言ってはいけない。「準備」から「欲求」が生まれる課程は、オートマティックなプロセスなので、自由はない。勝手に動かしたくなってしまう。
 そうじゃなくて、僕らに残された自由は、その意志をかき消すことだから、「自由"意志"」ではなくて、「自由"否定"」と呼ぶ。英語でいえば、自由意志は"free will" 自由否定は"free won't"と言う。
―――しないことをする……。
 そうだね。僕らにある「自由」は、自由意志ではなく自由否定。「人は一生に1回ぐらいは殺意を覚えるもんさ」なんて、ホントかウソか知らないけど、そんなことを言う人がいる。でも殺意を覚えるだけだったら犯罪じゃないよね。頭の中で思うだけだったら、罪には問われない。そもそも、そこには自由はなくて、勝手に脳がそう思っちゃっているだけだし。
 ただし、そのときに「殺人はダメだ」と自由否定の権利を行使しなかったら、つまり、殺してしまったら、それは犯罪だ。だから、殺人は有罪になる。
 ということで、僕らの「心」の構造が見えてきたね。自由否定が鍵を握っているんだと。


「自由否定」って言葉は、なんかしっくりきてない気がします。ただ聞くと「自由の否定かぁ」って聞こえちゃう。そうじゃなくて、「自由に否定する権利」「否定だけは自由に行える」ってニュアンスなんですけどね。ともかく、池谷さんの主張では、「僕らにできるのは、こみ上げてくる欲求を抑えたり、勝手に浮かんでしまうアイデアを採用しないことだけだ」となります。

しかしここで、こう言いたくなりますね。「じゃあ、その"自由否定"をしようという"意志"は、どこから生まれてくるの?」と。そこに"ほんとう"(笑)の自由はあるの?みたいな。本のこの後の部分で、池谷さんもその点には触れてますけど。それにしたところで、「脳の中の小人」は、もうすでにかなり狭い領域にまで追い詰められてしまっているというわけです。そして最後にそこを開けたとき、果たして小人はいるのかいないのか??


というわけで、今はまだ夜明け前の状態で、自由意志なんてないよと言うとハクガイに遭いがち(笑)なのですが、わたしたちが知らなかっただけで研究者はどんどん先に行ってしまっている。地動説が、もたらされようとしている。これから何年か何十年か掛けて、パラダイムシフトが起きるのかもしれません。もっとも、日常生活レベルでは「自由意志は存在する」でなんの問題もないとは思うんですけどね。地動説を知っているわたしたちが普通に「日が昇る」「日が沈む」って言うのとまったくおなじように。