昨日買ってきた、大槻ケンヂと絶望少女達『林檎もぎれビーム!』があまりに良い曲(アマゾンで星7つくらいはあげたい)だったので、ちょっと勝手に解説してみます。
- アーティスト: 大槻ケンヂと絶望少女達,大槻ケンヂ,野中藍,井上麻里奈,小林ゆう,沢城みゆき,新谷良子
- 出版社/メーカー: キングレコード
- 発売日: 2009/07/23
- メディア: CD
- 購入: 8人 クリック: 215回
- この商品を含むブログ (93件) を見る
まずそもそもの、タイトルであり曲中でも連呼される「林檎もぎれビーム」とはなんなのか?
半世紀ほど前に、松村雄亮という人の主催する「宇宙友好協会」というUFOカルト団体が「リンゴ送れ、C」事件というのを起こしたそうなのです。以下Wikipediaより。
松村は1960年から1962年の間にポールシフトとそれに伴う大洪水が起こるという終末論を主張するようになる。その際には、会員とその家族の元には「リンゴ送れ、C」というメッセージが届き、それを受け取ったらあらかじめ指示された地点に集合するよう通達がなされた(Cは、カタストロフィ(catastrophe)の頭文字である)。そこで彼らは飛来したUFOによって救済されるのだとされた。
しかし1960年1月、この情報が平野威馬雄によってマスコミに漏れ、一大スキャンダルとなる。
オーケンは最初曲名をそのまま「リンゴ送れ、C」にしようとしたのですが、諸事情を勘案して「林檎もぎれビーム!」になったとのこと。でもOPの最初のところ、よく見ると右下の部分でなんかそのままやっちゃってます。
シャフトによるアニメーションとNARASAKI氏の曲のシンクロ具合も半端ないですが、ここではオーケンによる歌詞に着目していきます。
君が想うそのままのこと 歌う誰か見つけても
すぐに恋に落ちてはダメさ 「お仕事でやってるだけかもよ」
カッコ内を歌うのはオーケンではなく「絶望少女達」です。というか声優さん。ご存じのように人気声優ともなるとファンからの扱いもアイドル並だったりするわけですが、その彼女たちに「お仕事でやってるだけかも」と言わせるとかオーケンなかなかキツいよな!と。ちなみに2番の同じ箇所はさらにキビシいです。
君の孤独わかってるよな すごい話に出会っても
すぐに神と思っちゃダメさ 「マニュアルではめてるだけかもよ」
………。さて1番に戻り、続く歌詞は、それでも止まらないなら行け!という内容になっています。
だけど想いとめられぬなら 信じ叫べ合言葉
共に歌え 全て変わると 変われ 飛べよ 飛ぶのさ
「変わったアナタを誰に見せたい?」
ないがしろにしてきたやつに!
続くサビ部分はこのように。
さあ行こうぜ 絶望のわずかな「こっちがわへ」
きっとシャングリラだよ 君となら 合言葉「林檎もぎれビーム」
でもどこへ行ったとて同じだろうか
「アナタはずっとそこにとどまってるの?」
同じくカッコ内を唄うのは声優さんです。しかしここで、かすかな違和感が頭をもたげます。絶望のこっちがわ? ふつう、絶望の「むこうがわ」ではないのか?と。しかし、ここがこの曲の最大のキーポイントなのですが、「こっちがわ」でいいのです。
OPのアニメを見ると、「さあ行こうぜ」からロケットの発射シーンとなりますが、絶望少女達が「こっちがわへ」と唄う部分では、スペースシャトルのそれを模したと思われるロケットの爆発シーンとなっています。つまり、ここでは"絶望"は超えられていないのです。当然です。アニメのキャラクターや声優を好きになったところで、その先にはなにもないわけですから。これはそういう歌なのです。
2番のサビはこうなっています。
むこうがわへ 絶望のわずかな「こっちがわへ」
きっとパラダイスだよ 僕らなら 合言葉「林檎もぎれビーム」
オーケンは「むこうがわ」と唄いますが、少女たちから与えられるのはあくまでも「こっちがわ」です。ロケットの爆発が暗示するように、人の身を持ってしては、この"絶望"を超えることは叶わないのです。これは、そういう歌なのです。
2番のサビの続きはこうです。
でもどこへ行ったとて同じだろうか
「アナタはまだ探してさえないのよ」
この絶望の夜は明けるのだろうか
「アナタに一つ教えてあげるわ」
そしてクライマックスへ。ここで曲は明るい感じに転調し、ハッピーな雰囲気でオーケンの声に絶望少女達のコーラスが重なります。彼女たちによって楽園の存在を教えてもらい、一瞬、希望を垣間見せられることになります。
エブリシンガナビーオーライ!
明けぬ夜は無い
でもそれは幻。
それが愛のお仕事そして
ん!?と思う間もなく、
「マニュアルなの」
どんがらがっしゃん、です。そして曲調は元に戻り、オーケンが再度サビを唄って曲はエンディングに向かいます。
この曲のリリース前のインタビューで、彼は「決してアニメや声優ファンを茶化しているわけではない」と語っています。
その後で歌われているのは、そうと分かっていても突き進むことで、みんなで生み出す幻想のシャングリラが待っているということで。それって、本当にそうだと僕は思っているし、僕もそこに参加したいという思いがあるんです。だって、僕が高校生の頃に“スタフェス”に行っていたら、もしかしたらロックやってないかもしれないって、本当に思いますから(笑)。
シャングリラがあるにせよないにせよ、絶望の「むこうがわ」は人間のまま到達可能な場所ではないのです。先がないと知りつつ突き進み、絶望のギリギリ手前の「こっちがわ」、つまり本質的に「ここ」と等質の場所に踏み止まって、みなで幻想のシャングリラを立ち上げるほかないわけです。僕らにできることは、それしかない。曲の最後でオーケンは「さあ行こうぜ」と呼びかけます。この曲はそういった、それでも「絶望のこっちがわ」へ向かおうとする意志を讃える、オーケンからの応援歌なんじゃないかなーとぼくは解釈しています。
というわけで、OPを見て「良い」と思った人にはCDをお薦めです。この曲は、フルで聴いてこそ、です。
しかしだ。「お仕事でやってるだけかもよ」「マニュアルではめてるだけかもよ」は、当然の如く自己言及的にこの曲自体にも引っかかってくるわけです。オーケンなぁ、どうしてくれるんだ……。まぁあれです、単に「アニメ声でひどいこと言われる歌」として聴いてもなかなか良いような気がする……。