すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

努力しなければ手に入らないものなんて、大した価値はない。

最近そういうことを考えています。たぶん、ふつうに思われてるのの逆が真だろうと。だってそうじゃないと、ほとんどの人は、大切なものが何かもわからないまま死んでいくということになりますからね。それはないだろうなぁって。

はるか昔から現在までずっと語り継がれてきたように、いつだって、冒険の果て、お話の最後に手に入るのは、なんだかつまんないものだったりするわけです。そのことが繰り返し形を変えて伝えられる。今の時代でも、いわゆる成功者にインタビューして得られるのは、なんだそんなことか、って話だったりするわけじゃないですか。みな、おなじようなことを言う。

苦労して苦労して、その挙げ句に得られるのは、ありきたりなこと。なら、最初からそれを望めばいいんじゃない、と思うんだけど、本物にはもっとありがたみがあるはずとか、そんな簡単に手に入るわけがないとか、苦労なしに得たものには価値がないとか、そういう思い込みが、目を眩ませているんだろうな。

んじゃお坊さんとかが頑張って修行したりしてんのはなんだー!ってことになるんですが、あれはあれでいいんだと思う。おそらく、大切なものが本当に大切なものであることを確かめる過程なんじゃないですかね。なんだっけ、バートランド・ラッセルの『数学原理』は、1+1=2の証明に700ページ使ってるらしいですから……。でも、1+1=2で、いいですよね?

たとえるなら、そういう感じかと思います。真理はシンプル。仏教の大事なポイントを無理矢理ひとことで言うと、執着するな、とかですよね(全ては移ろいゆくものであるが故に)。キリスト教なら、汝の隣人を愛せ、とかそんなもんですよね。細かいことはそれぞれいろいろあるんだろうけど、これだけで大事な部分はだいたいカバーできるんだからいいんじゃね?と。そして空いた時間はほかのことに使うのはどうでしょうか。