すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

大人は選挙に行く

昨日の記事はさておいて、今日もちょっとだけ選挙について書いてみる。


「おれの1票マジ意味ねえなー!」って感じたことがある人は多いと思う。けれどもし、自分の1票が選挙の行く末を左右するようなモノなら、当然、その結果の責任も取らされることになる。自分が投票した人間が当選したってそこがスタートなだけで、その後世の中が良くなるか悪くなるかは誰にもわからないんだし。

その覚悟があるんなら、はじめから議員やればいいんじゃない?って考えもある。それともなにか、自分が投票した候補はすべからく当選すべし、そして後は椅子に座って自動的に世界が良くなっていくのを眺めていたいんだ……みたいな感覚なのかなぁ。

ぼくの1票は選挙の結果にまったく関わらない。しかし、現に、選挙で票を集め当選する人は、いる。このギャップを埋めるにはどう考えたらいいんだろうか?

投票結果を絶対に左右したりはしない、吹けば飛ぶような軽い1票を以てなお投票に行く、ってことは、自分なんか取るに足らぬ人間であるということを自覚し受け入れる、ということだ。そして、取るに足らぬ1票を以て社会を変えるためには、みなで団結するしかないってこと(同じ候補者に投票した人たちは仲間だ。そのことをイメージせよ)。投票行為は、ちっぽけな自分でも社会の一員として世の中に参加するのだ、って意志の表明じゃないかなぁと思う。

投票に行く人は「1票に意味がないことを解ってない馬鹿な人」じゃなくて、そんなのとっくに受け入れて乗り越えた人なんです。そして、子供が大人に馬鹿にされるのはなぜかというと、残念ながら子供は実際本当に馬鹿だからです。大人になった人には、そのことが解ると思う。

多分、自分の力の小ささを認めるのが嫌なんだろうなぁ、と思う。意味がない云々言う人は。


参考 tokuriki.com : それでも、私たちは選挙に行くべきだと思う理由
大人は選挙に行ってるww それは意味があるってわかってるからだし、そして実際意味はあるのだ。




……とまぁなんとなく書いてみたけれど、ほんとのところぼくが投票に行くのは、お手軽に社会参加してる気分が味わえるのと、レース見るなら馬券買った方が絶対盛り上がるよね、っていう、せいぜいそのへんじゃないかと思う。そんなでもいままで棄権したのは1-2回しかないと思うけど。

あと、今回、どうするか。ぼくは、勝利が確実で、かつ、失敗も確実なところに投票する気はない。必ず勝つところに更に票を加えても面白くない。そして、失敗するのはその政策ゆえじゃなくて素人ゆえだけど、だからといって割り引いて見てあげられるとも思えない(のど自慢大会ではないのだし)。投票した自分を後で呪ったりすることがないよう、他に入れようと思います。保坂さんに入れられれば入れるんですけどね。