すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

また自由意志についての斯く斯く然々

自由意志に関して皆様にお知らせしておきたい事実がひとつございます。というのは、ぼくはここ最近で脳や意識に関する本をたぶん20冊くらい読んでいるのですが(まぁ全部一般書ですけどね)、その著者や本の中でインタビューされてる科学者などで、自由意志の存在を認めている人は「ほぼいない」ということです。「全くありえない」から「信じ難いがそう考えざるを得ない」まで濃度はさまざまですが、素直に「人間は自分が意志した通りの自由な行動ができる」と考えている人はいなさそうなのです。ない、という合意ができつつある。

これはどういうことかというと、脳や意識の研究に携わる科学者たちは、いままさに"地動説"が正しいと気付いてしまったのだ、ということです。しかしまぁ世間の人は、地球は宇宙の中心だと信じきっており、そんなことはあまりにも当然すぎるのでそもそも話題に上りもしない、と、そんな状況なのではないでしょうか。


「自由意志がある」ということは、意識が行動に影響を与えることができる、ということです。しかしここで言う「意識」とはいったいなんのことか? まぁそこからはっきりしてないんですけどねw でもちょっと考えてみます。それは、おおざっぱに2通りの考え方があるんじゃないかと思います。「活動・プロセス」であるというのと、「ゴースト」である、というのと。

意識とは脳の活動やプロセスそのもののことである、とする人たちがいます。既に何を言っているのかよくわかりませんがw でもこの場合は、自由意志は存在しない、ということはすぐわかります。死んだら意識はどこへ行ってしまうのか?と問われるとき、この人たちは「それはエンジンが止まった時に『エンジンの"動き"はどこへ行ったのか?』と問うようなものだ」と答えます。そして当然ですが、「エンジンの"動き"」はアクセルを踏んだり戻したりした事の結果として現れるのであって、"動き"のほうから車の挙動に影響を与えるなんてことはありません。

一方の「ゴースト」。こちらはさらによくわかりませんw そしてこの立場を取る科学者はほぼいません。というのは「心身二元論」になってしまうからです。肉体を離れた意識が有り得る、ということになってしまう。すると、哲学的ゾンビは有り得るし、どこからいつそれは現れ、最後はどこへ行ってしまうのか、ということになる。さらにそれは物質的なものか非物質的なものか、という問題もあります。非物質的、と言った瞬間オカルトになり科学を離れます。"霊"が存在しそれが物質に力を及ぼすことができるのか?? しかし、ゴーストが物質的とするならなおさら変な感じです。それはいったいなんでしょう? 脳内のニューロンにまとわりつく雲のようなものでしょうか? それがニューロンに干渉して行動に影響を与えたり受けたりしている?? で、それをコンピュータにどうやったらまとわりつかせられるかを、ロボットの研究者は考えているのでしょうか?

なんとなくですが、ゴースト説はなさそうな気がします。しかし、どちらであっても「意識」のほうから人間の行動を変化させることができる、というのは、無理な相談ではないでしょうか。結果でしかないものと、物質との関わり合いが不明なもの。あるいは意識はそれ以外の在りかたを取るものなんでしょうか。


ぼくは自由意志は存在しないものと考えています。数多くの専門の研究者がそう言うのだし、彼らの主張を自分で点検し考えてみてもそうだとしか思えません。しかし一方で、そもそも「ぼくは自由意志は存在しないものと考えています」などという言い回し自体は「そう考えないこともできたのに、そう考えることを選択している」ことを含意しているように見えます。ぼくは、今日はこのことについてエントリを書こう、などと日々考えているようだし、自由意志の非在について人を説得しようとしている。それは端的に「自由意志の行使」ではないのでしょうか? 理屈は解っても、無いものとして振る舞うことは難しいようです。←という言い回しがもう罠に嵌っています。どうすればいいのでしょう。ふつうにしてればいいのでしょうか? ←という言い回しがもう(ry

ただ、自由意志がないとしても、それでたとえば人生がなにかつまらないものになるとか、そういったことはないように思います。映画は、観ている最中にストーリーが変化したりしないことを皆知っていますが(そして登場人物に自由意志はないですが)、それで感動の量が減るとか質が落ちるということはありませんし。ただ、実際にそういう考えが世の中に広まるかどうかは、なんとも言えないですね。人間は自分の意志で自由に振る舞うことができる、という前提で社会制度はできている。自由意志がないとしたら、では「責任の所在」はどこにあるのか? 罪を犯したり償ったりすることはできるのか? そういったことを考え直さなくてはいけなくなります。ほんとは相対性理論が要るんだけど、実用上ニュートン力学で大丈夫だし、みたいな感じになるのかもしれません。そうやって人がずっと自らを欺いたままでいられるのかは、わからないですけれど。