すべての夢のたび。

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ある日、世界が腑に落ちる

記憶 脳は「忘れる」ほど幸福になれる!

記憶 脳は「忘れる」ほど幸福になれる!


前野隆司さんの本は、これ以前の3冊とも持っていますのでファンと言ってもいいかも(「脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説」「錯覚する脳―「おいしい」も「痛い」も幻想だった」「脳の中の「私」はなぜ見つからないのか? ~ロボティクス研究者が見た脳と心の思想史」)。最後のはまだ読みかけですが。今回のこれは、この3冊よりは一般向けに書かれているようで、脳の構造やら専門用語やらはあまりでてきません。

本書のサブタイトルは"脳は「忘れる」ほど幸福になれる!"となっています。ぼく自身、記憶力が悪いことは自覚しており、よくあるなぐさめ「忘れてしまうようなことは大したことではないのだ!」を常日頃から多用しているのですが、どうも著者の前野さんはぼくなどを遥かに上回る(下回る?)記憶力の悪さのようでした。本文中にいろいろ逸話が出てくるのですが、曰く「古文の教科書見開き2ページを10分で覚えられるところまで覚えろと言われ、最初の1行も覚えられなかった」「一度行ってみたかったハンバーガーショップに奥さんを誘ったら『前に一度行った』と言われた」「3月に卒業した自分の研究室の学生の名前を4月には忘れていた」等々。極めつけは「飲みものの飲みかたを忘れた」(42P)。

 次の話は病的なので驚かれるかもしれないが、私は、四十代初めのころ、液体の飲み込みかたを忘れたことがあった。ある日、飲みものを飲み込もうと思ったら、どうやって飲み込むのかわからなくなってしまったのだ。ものを飲み込むなんて、当たり前のようにできるとお思いかもしれないが、一度忘れるとわからない。水を口に含んだまま、口のどこをどう動かせばこの水を飲み込めるのか、途方に暮れてしまった。
 これはあせった。幸い、しばらく試行錯誤するうちに、口の後ろのほうの筋肉を、うまく言葉では表せないが、あるやりかたで動かして飲み込む準備をすることが、飲み込むために必要だと気づいたので、意識してそれをやると飲み込めるようになった。


どうかしているような。ちょっと安心しました(自分の記憶力について)。


で、この本ではどういうロジックで「忘れるほど幸福になれる」と主張されるのか。端折りますが、前野さんは、記憶はフィードフォワード制御ができるようになるためにある、と言っています。人間誰でもどんなことでも最初はフィードバック制御、前回はこうやってこういう結果だったから今回はもうちょっとこうしてやってみよう、ということを繰り返して物事に熟達していくわけです。そしていずれは、なんでも無意識的にできるようになる。フィードフォワード的に「こうすればこうなる」が考えずともわかるようになる。そうなったら、もう記憶はいらないのだというわけです(繰り返しますが、本書の説明を相当端折ってます)。人間の心情的には、記憶がなくなっていくのは寂しいことのように思えますが、進化生物学的には単純に、それは必要がなくなったから消えていく、あるいはもっと積極的に、不要だから消去されていくものであるのです。

そしてその後、"忘却"を"幸福"につなげていく論理が展開されるのですが……まぁ半分は「もの忘れの異様に激しい人がそんな自分を慰めるために一生懸命考えたロジック」のような気がしました(笑)。いえ、それで問題ないと思うんですけどね。結局のところは、人の言うこと・書くものなんて突き詰めればすべて自己の肯定、「私は正しいのだ」に他ならないわけですから。逆に言えば、どんな考えを持つ人であってもまず間違いなく、そんな自分の考えを裏付ける主張をしている本を探してくることができるのです。そしてぼくもそうやって自分の考えを補強するような本ばかりを集めてきては日々読み耽っているのです。


でね? そういうのは別にいいんだ。ここで終わるとこれは単なる「脳とかその辺のよみもの」だったんですけど、最後がちょっと違ってた。前野さんはいま「幸福学」をやっておられるそうです。

 私は最近、幸せの研究をしている。幸福学という分野は新しいが、心理学を中心に、欧米や日本でも研究が盛んになり始めている。もともと、幸せなんて学問にならないと思われていたためか、幸福学の体系化は進行中だが、現時点の私の考えを述べたい。


「システムデザイン」「ロボット」や「脳」「意識」から、「幸福とはなにか」へ。うさんくさ、と眉をひそめる人もいるかもですが、ぼく的には好ましい展開です。そっち行くよね!っていう。そしてさらに前野さんはこう仰る(216P)。

 いきなり書いて信じていただけるかどうかわからないが、実は、私は何年か前から、「自分は世界一幸せだ」と感じるようになった。世界一と言うと、他人と比較してほかの皆よりも勝っていると言っているようだが、そうではなく、自分はこれ以上、上のない、最高の幸せに到達したという実感を、こう表している。
 自分一人だけが世界一という感じかというと、そうではない。世界一という人が、何人か、何百万人かわからないが、存在していて、その一人に入ったという感じだ。要するに、「最高の幸せとはこのことだ!」ということを確信できる幸福感、と言えばいいだろうか。
 つまり、「世界一幸福」という表現は間違っていて、「至福の境地」と言ったほうが適切だろう。このため、ここからは「世界一幸福」ではなく「至福」と呼ぶことにしよう。


うわー。なにそれー。とお感じの方もいらっしゃるかも。かく言うぼくも、前野さんちょっと突っ走りすぎじゃね?と思ったのですが、続くことばが「こう感じるようになった理由は、フィードバック誤差学習を重ねた結果、世の中全体のモデルが心の中に構築できたからではないかと考えている」(強調は引用者)となっており、おおっ!?と思いました。前野さんの定義する「至福とは何か?」 ちょっと長くなりますが引用します(217P)。

 人間成長モデルを考えてみると、子供は最初、何の記憶も持たない。しかし、子供は好奇心旺盛だ。様々な試行錯誤を重ねる結果、次第に記憶を積み重ねていく。大人になると、次第に様々な記憶の意味がつながっていく。そして、その人なりの世界観が構築されていく。さらに、システム思考を重ね、様々な記憶をつないでいくと、ついには、すべての記憶が意味としてつながるときが来る。もちろん、専門領域や、政治や経済や文化や人間の心理や人間関係や科学技術、哲学、宗教、それら、すべての総括として。
 すなわち、誰でも、到達したいと思えばいつかそこに到達できるのだが、到達しようと思わなければ決して到達できない、全体システムがシステムとして腑に落ちる境地というものがあって、それが、至福の境地だ。
 この感覚は、そこに到達されたかたには容易に理解できるが、到達されていないかたには全く理解できない状態だと思われる。
 それは、世の中のすべての現象を全体としてモデル化できた感じと言ってもいいし、自分はなぜ何のために生きているのかを、理念・信念のレベルから、日々の生活のレベルまで、統合的に理解できた感覚と言ってもいい。
 世の中がどのように動いているのかを、自分の将来も、世界の将来も、すべて含めて予測可能だと感じた境地と言ってもいい。もはやどんなことにも動じない心境と言ってもいい。前に述べた内部モデルが完成し、すべてに納得した感じと言ってもいいし、すべてがわかった感じと言ってもいい。すべてがシステムとしてつながった感じと言ってもいい。
 実はこれはクオリアなので、文章でいくら説明しようとしても伝わらない次元の話だ。このため、この感覚を共有したことのある人にはわかるが、感じたことのない人には、残念ながら感じるまでわからない。そんなのは論理ではない、と言われるかもしれないが、実はすべての論理は本質的にそのような自己言及的な構造をしている。大前提となる根本的な抽象概念を理解しないと、それ以外のことを演繹的に理解することはできない。


わかる、と思いました。ぼくは前野さんの言っていることがなんなのか解っている。「世界全体のつながりが腑に落ちた感覚」、これはぼくも少し前に手に入れています。そしてそれから、いろんなことが割とどうでもよくなった(笑)。どんなことがあっても別になんとかなる。どんなことがあっても別にどうでもいい。既にして幸福であり満ち足りており、この地上をいつ離れることになっても構わない。

まぁそれを「至福」と言っちゃうとちょっと大げさな気もするのですが、言葉の定義なんて適当でいいかなーと。それって、あれのことですよね、って、通じるから別にいいのです。

で、こう書くと「それって"解った気になっている"だけなんじゃないの?(世界全体なんて!)」ってツッコミが当然予測されるんですけど、そう口にしてしまうのは「解った気になっている」と「解っている」が内側からは区別の付けようがないことを知らないが故です。ふたつは同じものなのです、本人的には。逆に「自分は解っているつもりだけど、もしかしたら解っていないのかもしれない」なんてのは、単に「解っていない」のです。そして禅師が弟子の悟りを見抜くのと同じように、解っている同士は互いに相手の「解り」を了解可能なのです。


というわけで、そっかー世界全体のつながりが見えると幸福感が出てくるわけかー、と、タナボタな本でした(脳の本を買ったつもりだったのに……)。さらに、この本や以前の本のISBNコードを調べるためにアマゾンで検索した時に、


思考の整理術 問題解決のための忘却メソッド

思考の整理術 問題解決のための忘却メソッド


なんと、明日前野さんの新刊が出ることがわかりました(笑)。どうやら今回の内容を発展させたような感じっぽいですね。さっそくこちらも買ってこようかと思います。