すべての夢のたび。

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助けないことに言い訳が必要か

Imamuraの日記 : クローズアップ現代10月8日放送「“助けて”と言えない〜いま30代に何が」書き起こし


面白そうなのでエントリを読んだ。読んだのだけど、なぜ「助けて」と言えないのかはよく分からなかった。健康な人間が餓死することなんて、ぼくのイメージでは「即身仏」くらいしかない。どれだけの強い意志があればそれは成せるんだよ、っていう。それほどまでにプライドが高いのか? あるいはとっくに世の中に絶望しているから助けなんか求めないんだろうか、と考えた。

見るとすごい数のブクマが付いていたので、ブコメを端から読んでみることにする。いくつか引っかかったものを。

rhatter たまたま自殺したから同情されてるけど、健康な30代が生活保護やバイトで食い繋いでたら世間では(ネットでも)ゴミ扱いだよね。当人も自覚してるから相談しない。黙って死んでいく彼らによって秩序は静かに保たれる

K-Ono 死んでも言いたくない。だからいわずに死ぬ。助けというものは有形無形問わず見返りを要求するものだ。あわれんでくれてありがとうってか。反吐が出る。

IGA-OS 分かる。プライドというか「恥ずかしい」という意識が勝ってしまうんだ。

エントリ読んでて「こんな状態になる前にぼくなら自殺するのになー」と思っていた。それはつまり、ぼくは非常に高度に自己責任論を内面化してる人間、よく訓練された世代、だということなのかも。まぁそうであっても別にいいんですけどね。

そして、そう自覚してもなおぼくは自己責任論者なので、ブコメ読んでて自己責任のことが悪く言われてるのがちょっと悲しかった(笑)。でも、ひとりにいっこ脳が付いてて、その口を動かすのはその脳以外にないじゃないですか。助けてと言うかどうかは個人に任されてる。自分はそれを言うこともできるんだ、と本人が知っているのなら、個人の尊厳を侵してまで他人が関わらなくてもいいのじゃない、と思う。


生き残れば善し、ってのはただの動物の生でしょう。人間は、もうとっくにそれ以上のものだと思う。「まず生きなくちゃ何も出来ないだろ」っていうのは個々人の生に対してのことであって、人類ぜんたいとしては次のフェーズに移行しちゃってる(ことに気づいて欲しい)。だから「生きて、どうするのか」をみんなが常に頭に置いた上で、勉強や仕事や、日々の生活や、投票、をしなくちゃだめだよーと思うんですが。

堀さん:暮れに支援機構の人たちに会っていなかったら、俺は間違いなく、年は明けれたとしても、生きれて1月の前半までだったんだろうなという。

ナレーション:堀さんは支援団体の協力を得て住まいを見つけ、現在ではホームヘルパーの資格を取得しています。


彼らが死んで、誰が困るのです? 「ひどいことを言う奴!」と思考停止せずに、困る人がいるのかどうか、考えてみて欲しいと思う。困るっていうか「かわいそう」と思う人はそれこそ(無関係な人にまで)いっぱいいると思うけど、それって、かわいそうなだけなんじゃないの? ブコメ残してる人のうち実際行動を起こす人の割合がどのくらいなのか、ちょっと予測してみるとかどうでしょうか。

ぼくは「行動を起こさないのだからぼくは彼らを"かわいそう"と思っていないんだ」と自分を解釈します。実際に自分のいままでを振り返ってみてもそれでうまく説明できますし。