すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ぐるぐる

ぼくは自分のことが好きです。不満がないわけではないけれど、とても満足している。今の自分の性格が好き。というより、今の自分でほんとうによかった、違っていたら嫌だったなぁ、って感じ。そして、自分自身の「世界とはこういうものだ」という捉え方・認識の形式が好きだし、世界についてはその考え方で正しいんじゃないかと思っている。

でも、そう思えるようになったのは比較的最近のことです(自分のことを好きなのだけは昔からでしたが)。そして思うのだけど、こういう安定した場所に考えが収まることができたのは、ひとことで言えば運、それしかないと思っています。生まれる場所や時間、両親や育つ環境は自分ではどうすることもできないし、生きていく上でいろいろ起きるイベントも、また、そう。

そういうことを考えるとき、ちょっと何かが違っていたら、こういう自分はなかったんだよなぁ、と思うのです。すると、自分でいまの自分を「正しい場所に辿り着いた」などと考えているのも、結構怪しいんじゃないかと思えてくる。たとえばぼくの世界の捉え方は割と救いがないというか容赦ない感じのものなのです。もっとふつうに育った自分から見たら、嫌悪するような人間ですらあるかもしれない。

割と稀な偶然の積み重なりの結果がいまのぼくで、もし生まれ変わったら、ここまで来ることはなかなかないんじゃないかと思う。そもそも生まれ変わりなんてなくって、生が一回きりの出来事だったとしたら、果たして自分は満足できるような自分になれるのだろうか。

とか思うとですね、やっぱそれは難しいじゃんと。つまり、正しいことがもしあるなら、それはもっと簡単に誰にでも手に入るものなんじゃないのかなぁと思うのですよ。それこそ、もう余命いくばくもないですとか、どっかアフリカの平均寿命30歳くらいの国ですとか、そういうところでも、得られるものであるはず、と思う。だってそうじゃなきゃ、最初からそういうのから除外される人たちが出てきてしまう。そういう世界は、もしここがそういう世界なんだったら、どうすんの、許せるの?って気がちょっとしてしまうんですよね。

でも別にぼくの願望で世界ができてるわけでもないしなぁ。それにそういう正しさって、すごい純朴なもので、たぶん、ごはんが美味しいとか、誰かに優しくされて嬉しいとか、景色がきれいとか、誰かの手があったかかったとか、そういうものなんですよね。動物的/感情的なもの。いつもここで内なるツッコミが入るのです。せっかく人間なのに、お前はそれでいいのか!と。

いいのかもしんないんですけどね(笑)。最近の自分はすっかり動物的/感情的モードで生きてる気がします。あまり人間的/理性的モードではない。この辺の統合がまだ上手くいってない。もしかしてずっとそういうもの、ぐるぐる回りながら動き続けるものかもしれませんが。物理的には静止状態が一番不安定なんですよね。そんな感じで。